横浜セクシュアルハラスメント裁判を支える会ニュース   bQ

                   1993・4・10 発行 横浜セクシュアルハラスメント裁判を支える会事務局




☆ 最近の集会などの報告

 2月、3月、この裁判の原告が自身で裁判についてアピールする機会がいくつかありましたのでご報告します。

@ 2月6日午後6時からテレビ朝日で放映された「ザ・スクープ」は、セクシュアルハラスメントの特集でした。原告は匿名で、顔は口から下だけを撮るということで出演しました。番組は全体としてはセクシュアルハラスメントを真面目にとりあげていました。しかし、匿名実名の問題(裁判の方法として両方の方法が必要であるということ)については、打合わせでとりあげて欲しい旨要請しましたが、結局放送ではとりあげてもらえませんでした。

A 2月26日午後6時から、東京飯田橋の中央労政会館で、セクシュアルハラスメントの現状を検証し、将来を展望する集会「セクシュアルハラスメント 現場からの告発」が開かれました。この裁判の原告(Aさん)、宇都宮セクシュアルハラスメント裁判の原告Kさん、熊本市議のKIさん(胸をわしづかみにした県議を強制猥褻罪で告訴)が発言をしました。Aさんの発言は「会社をとても好きだったのに、セクシュアルハラスメントを受けたために自分のいたい会社ではなくなってしまった」「匿名にしたのは煩わしいことが嫌だったから。裁判で権利の回復を求めることは何ら特別のことではないはず」匿名、実名の問題について問題提起し、特に一方的な実名賛美に偏っている、マスコミ報道に疑問を投げかけたいという思いがあって、原告弁護団も出席し、高岡弁護士が匿名での裁判の必要性を訴えました。

B 3月6日、東京、渋谷の山手教会で開かれた「国際女性デー おんなたちの祭り」では、劇団どくだみが演じる構成劇の中でアピールをしました。内容は後記の通りです。                                 (渡辺)


 事件後ずっと、私は自分の怒りを普通の人なら誰でも感じる当たり前のことだと主張してきた。だが、実のところそうとは言い切れない。なぜなら自分自身を「普通」だと肯定しきれないからだ。

 訴訟を起こすにあたり、十年来の友をひとり失くしたのと、いまだに親族の賛同を得ていないことは、私の常なる憂鬱の種だ。私は最初、やり過ぎだと非難された。社会的地位も高く、家族もいる部長を追いつめようとすることは、あまりに女の子らしくないというのだ。よくあることで、魔がさしただけなのだし、奥さんや子供は何も知らないのだから大袈裟にして悲しませる事は無いと。それに、普通上司を訴えるなんて、そこまでするかと。私は理解してもらうことを断念した。確かに家族の人たちに罪は無いが、それと事件とどう関係がある。私には地位も扶養家族もないが、やりがいを感じていた仕事と、共に働いていた仲間を失い、やっと手に入れた生活の安定も失ったのだ。この事態を引き起こしたのは私では無く、部長ではないか。なぜそれがわからない‥‥‥。仕舞いには、気の済むようにすればいいと言われた。それは私の強硬な姿勢に対する諦めだ。私は今、「横浜セクシュアルハラスメント裁判」の先頭に立ち、あまつさえ、その勇気をたたえられているが、これも多分、喜び難いことなのだろう。私の将来を心配してくれるのは有り難いが、人の幸、不幸は本人がどう思うかによって決まることだ。
 ところで最近なぜ訴えたのかと、どこへ行ってもまるでお約束のように質問されるが、どうしてそんなことを訊ねるのだ。悪事を犯した社員に罰則を課すのは会社の義務だ。それを怠ったから謝れと言っているだけのことで、だれしも事故等で人を傷つけたなら、慰謝料をはらい謝罪するだろう。法律で決まっていなくても人として謝るのは当然のことだからだ。部長も2人の娘と息子にそう教えたはずだ。なのにそれをしない。部長は理性を失った時、家族への責任も、自分の人としての尊厳も喪失したのに、事実を否定することによってそれを守り通そうとしている。
 これでもまだ私が裁判を起こしたことは恥だ、とんでもないと非難されなければならないだろうか。男性の体裁や、見栄の前には一歩引き、どんな横暴にもじっとたえるのが女性の正しい生き方であるのならば、私は女でなどいたくない。
 まあ、古くからの伝統や習慣はすぐには変えられないし、人々の生き方も強制はできない。だから私は急がない。気付いた人から耳を傾けてくれればいい。気付かないならそれでいい。気付きたくないならそれもいい。そんな人達を慌てて洗脳しなくとも、世の中変わっていくものだから。日本人は新しもの好きだし。私の言い分が人類の進化に忠実である事もそのうち証明されるだろう。



☆ 裁判報告

     第3回 口頭弁論 3月12日

 前回提出した原告側準備書面(陳述は今回)に対する反論としての被告側準備書面が被告2名からそれぞれ陳述されました。

 書証として、原告側から、原告が被告会社B社長に救済を求めて手渡した手紙の写しを提出しました。

  次回は5月7日 午後1時10分から 501号法廷です 

 原告側から、使用者責任に関する再反論、書証として、セクシュアルハラスメントに関する参考文献の提出が予定されています。                                                           (渡辺)



☆ メッセージのコーナー

 *応援しています。女がもっと堂々と生きられる日までずっと闘い続けましょう。(N)

* がんばって下さい。名古屋の女たちも応援しています。(名古屋、ワーキングウーマン)




93年2月26日 「朝日新聞」 夕刊

  「働けば働けど 93年春闘」

セクハラも労働問題です 労組が裁判の女性支援・学習会

 セクシュアル・ハラスメント(性的いやがらせ)の問題に、労働組合が取り組み始めている。宇都宮、横浜のセクハラ裁判では、地元の労働組合が原告の女性側を支援することを決めた。昨春、セクハラ裁判で女性が勝訴した福岡では、女性の組合員たちが学習会を開く。それでも、セクハラが指摘されて比較的新しいだけに、労使ともに対応が遅れているのが現状。今春闘での労組の取り組みに、女性たちの注目が集まっている。


まだ多い「ぴんとこない」

 連合栃木が支援するのは、大手信販会社の元OLKさん(25)が実名で宇都宮地裁に起こした裁判。「上司に無理やりホテルに誘われるなどの性的ないやがらせを受け、退社に追い込まれた」として、上司と会社を訴えた。
 執行委員会で支援を決めた連合栃木では当面、市民グループ「セクシュアルハラスメントを闘うKさんを支える会」(代表、S宇都宮市議)の会員に組合幹部がなったり、署名運動や裁判傍聴に参加する。
 連合栃木は「働きたい女性が、性的いやがらせで、退職に追い込まれるのは、労働界の新しい問題。春闘時期に組織全体に呼びかけ、セクハラ、問題にぶつかってゆく」と言う。
 横浜では昨年7月、建築コンサルタント会社に勤めていた女性が、元上司らに新聞への謝罪広告掲載などを求めたセクハラ裁判をめぐり、女性市民グループの呼びかけで「横浜セクシュアルハラスメント裁判を支える会」が発足。横浜市役所の職員らが加盟する自治労横浜の女性部はこのほど「支える会」を支援する方針を確認した。
 一方、出版社に勤めていた女性が元上司などを訴えていたセクハラ裁判で福岡地裁は昨年4月、原告勝訴の判決を言い渡した。
 裁判への支援がきっかけとなって、連合福岡女性委員会は、93年度の活動方針に「セクハラに関する取り組み」を盛り込み、その第一段として来月5日に学習会を計画している。
 こうした動きがある一方、「セクハラは、自分たちの職場ではぴんとこない」という労組がまだまだ多いのも事実。連合東京では「セクハラ問題は職場で抱えているのかもしれないが、今のところ運動方針には入っていない」という。
 東京都労政部では、職場での男女差別についての相談項目にセクハラを入れた89年から、セクハラに関する相談が大幅に増えた。都職員が、問題解決のため女性とか医者などを仲介した昨年の相談件数は過去最高の381件。相談者の内訳は女性が339件、男性が3件、使用者が39件だが、労働組合からの相談はないという。
 都の労働相談指導担当主査の金子雅臣さんは「相談に来るのは、被害者の氷山の一角。企業は労務管理上の危機意識を持ち始めたが、多くの労働組合はまだ関心が薄いようです」といい、労使そろっての職場でのルール作りが必要だ、と説く。


女性問題軽視、春闘に注目

 性差別などを理由に社会党を離党した東京都議の三井マリ子さんの話

 労働組合の大会に呼ばれると、女性の姿はほとんどありません。女性の問題が組合の中で軽視されている、と感じました.ILO(国際労働機関)調査でも80年代に日本は男女の賃金格差が広がった数少ない国です。賃金闘争が男女を平等にする闘いではなかったことを示しています。米国では、企業にセクシュアル・ハラスメント防止のガイドラインがあり、マニュアル作りや勉強会も進んでいます。日本は、性差別がひどいために、訴え出ることをあきらめている被害者がたくさんいます。労働組合が春闘で女性の問題にどう取り組むか、を注目しています。



☆ Aさんコーナー

   「矢ガモはメスだった」

 先日石神井公園の"矢ガモ"が世間を大きく騒がせた。私は思った。彼女(カモはメスだったそうだ)が何をしたのだろうかと。‥‥‥恐らく何もしてはいまい。なぜ彼女は矢で射られたか。彼女がカモだったからだろう。矢を射た人間は現場を他人に見咎められなければいいと思ったのだろうか。そも、彼らにはそれが特に彼女でなくても良かったのだろう。矢を射ろうとしたその時、目の前にいた力の弱い生物なら何でも良かったのだろう。欲求を満たすための対象はそうして、簡単に見繕われたのだ。
 彼女(カモ)はどんな気持ちだったろうか。鳥にもちゃんと感情はあるのだから、何か感じただろう。ただそれを伝える術を彼女は持たないのだけれど。実際に測ることのできないカモの気持ちを推しても仕方がないね。
 言えることはカモに罪は無かったということだ。カモが射られようと思って人を挑発したとは考えられないし、人に危害を加えるような行動をとったとも想像しがたい。きっと彼女はただカモであったのだよ。この世に生を受けるときカモになる事を拒まず、拒めなかった彼女はだからカモに生まれ、その天寿を全うするために黙々と生きていただけなのだよ。その生を止める権利が誰にあろう。
 法律というものは人間が勝手に決めたものだ。しかしその法律に沿ってもあれは正当な狩猟によるものだったろうか。
 カモの生きる権利を私は主張できない。なぜならカモは万物の霊長たる人間に負けたのだから。
 女は男に負けたのだろうか。



原稿を募集します

 A子さんへのお便り、自分の体験、この裁判に寄せる思いなど何でも。事務局まで。


ニュースの名前を募集します 

 ニュースに名前をつけてください。案を事務局まで。採用者には記念品を‥‥‥というわけ
には行かないかもしれませんが。




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