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                   1994・7・9   発行 横浜セクシュアルハラスメント裁判を支える会事務局



☆ 裁判報告

1994年6月10日 第9回公判

 今回は、会社側証人として、Sさんが出てくるということで少し緊張した。傍聴席もいつもよりたくさんの人々が来て、Sさんの証言に注目した。
 証言は、会社側主尋問、原告側反対尋問を通して、率直に感じたままを述べてくれたので、むしろ原告側主張を補完するものだった。
 S証人は、1992年2月19日、事件が起こった日のこととその後8月に退職に至るまでの6ヶ月間について証言した。事件の日については、「7時半ごろ会社に戻ると、Aさんがボーッと椅子に腰掛けていた。Tさんが『どうしたの』と聞くと『今日ヘンなことがあった。部長と』といい、1時間半ぐらいかけてやっと『部長にヘンなことをされた。会社にいられないかもしれない。会社をやめたくない』といい、Tさんを立たせて後ろから抱きつくジェスチャーをして泣いた」
 そして、彼は「大事が起きたと思った」ということだ。しかし、その後、その認識は変化したと証言した。2日後、Aさんが「あのとき泣けばよかったのに」と言ったので、冷静だったんだなと思い、また22日部長が謝罪した日、小型録音機を買ったと言い、謝罪させた後では、「わーい、やった、やった、祝杯だ」と言ったので不愉快になったというのだ。
 しかし、一件落着と安心し、1ヶ月ぐらいは、元に戻ったと思ったが、その後はAさんの勤務態勢がルーズになってきた。Aさんから見ると部長は改悛の態度がないということだろうが、S証人から見ると、自分たちよりも気を遣いすぎていると思ったという。そして、みんなが気を遣っていたのに、Aさん自身がチームワークを乱し、垣根をつくり孤立していったのだと述べた。
 原告のAさんの証言を思い出すと、「なるほど」(セクハラを受けた後の女の心理状況)と私自身納得するのだが、感じ方というものは男と女ではこうも違うものかと思う。Aさんが泣いて取り乱せば大事だと思い、冷静になれば大したことはなかったんだと思う。職場秩序が保たれれば善として、いつの間にか被害者が疎んじられ、反対にトラブルメーカーにされてしまう。だからこそ、Aさんは退職せざるをえなかったのに。
 3人の裁判官の補充質問があった。1つは「Aさんに具体的にどう気を遣ったのか」答えは「チームワークを維持するため」2つは「事件後、なぜAさんへの見方が変わったのか」にたいして「Aさんが足を組んで座り、タバコを吸って冷静だったから」との答え。また、3つ目は「もしも謝罪を受け、Aさんがルンルン気分だったのなら、自分から垣根をつくるのはおかしいはずで、矛盾していると思うがどう考えていたのか」という質問だった。とても鋭い質問だと思ったが、これには明確な返答がなかったように思う。

 Aさんの話では,Sさんは事件後のAさんの動揺を見守ってくれ、Aさんの話にじっくりと耳を傾けてくれ「スタンド・バイ・ミー」だった人で、彼女自身支えられたということだ。でも、結局のところ彼の認識は「垣根をつくったAさんが悪い」に留まり、K被告によるセクシュアル・ハラスメントがいかにAさんを傷つけ、孤立感を募らせ、退職に追い込んでいったかを理解しようとはしない。裁判にまで訴えて争っているAさんの心情を思いやろうとはしない。ましてや、Sさんのそのようなレベルの認識こそが、Aさんを退職に追い込んだとは少しも思い及ばないのだろう。会社側証人として出てきているのだから当然といえば当然なのだが‥‥‥。でも、嘘八百を並べ立てる証人すらが多い中で、それなりの良心的な証人だったとは思う。
 次回の口頭弁論には、(株)テクネットのY社長が証人として出てくる予定です。ぜひ多くの傍聴を。   (Q)

  次回の公判  7月22日(金)午前10時30分
           横浜地裁501号法廷



☆ 横浜裁判を傍聴して

 どうしても行けなかった時もありましたが、Aさんの裁判にはほとんど行くようにしています。回を追う毎に腹立たしさや、怒りがどんどん増していきます。大体の経過は以前から聞いていても、詳細な場面が裁判でのやりとりの中で現れるとき、どんなにか悔しい思いをしたろうと思います。
 女性なら生まれてからこれまで必ずといっていい程、セクハラを(程度の差こそあれ)受けているのですから。
 事件がおこった時、人間は誰でもそうだと思うのですが、異常な場面に出くわした時、パニックになって頭が働かず、どう対処していいのか解らなくなってしまうもの。Aさんも、さまざまなことが頭に浮かんだのでは?道で会った痴漢ならいざ知らず、自分の上司がまさか‥‥‥。頭の中が真っ白になって何も言えなくなる事もあるし、ギャーッと悲鳴をあげても誰も助けに来ず、加害者がもっとエスカレートするとか、その場をなんとか治めないと、とか‥‥‥。
 向こう側の証人が、何日か後になってAさんが「あの時、泣けば良かった。」と云うのを聞いて「冷静なんだ」と解釈したというのですが、私はそうは思いません。あの時ああすれば良かった、こうすれば良かったのではと、思いを巡らせていたのだと思います。
 それから加害者側の弁護士の言った「大の男人生を考えなかったのですか。」という質問に、「何も解っちゃいない、自分の質問が愚かしい事にこいつは気が付かないんだ。」と思いました。
 私たち女性側から言えば、女だって「大の女の人生」なんですよ、と声を大にして言いたい。
 社会で優遇されているセクハラ男の為に、何でひとりの女性が不愉快な思いをし、泣かされ、痛めつけられて緊張状態を強いられ、一方的に人権侵害を当然のようにされなくてはならないのか。世の中の不条理に対して、断固憤らざるを得ない!グローバルにこの地球上を見渡しても、どの国のどの社会でも(ボスニアでもソマリアでもアメリカでも、戦争状態ではない国でも)セクハラやレイプも行われているのです。
 新聞とかに統計が出ていないけど、女性が犯した犯罪と、男が犯した犯罪とかを統計とってごらんと言いたい。女が男にした犯罪なんて、ものすごく少ないと思う。男が女に対しての犯罪が数字の上で膨大な数の筈。(誰か大学院の人か、学者の人でも女の立場から統計をとって欲しい!!)私の周りを見回したって、セクハラを受けている女性は殆どだけど(電車のチカンとか)、女性が男性にしたセクハラっていうのは生まれてからこれまで、たった1回しか聞いたことがないのです。
 男が日々セクハラしても許容される社会って何!?
 女性よ逞しく!ろくでもないセクハラ男は、女性を一段下に見ている奴で、女性を人間として対等に見てない奴だと思う。負けない強さを持とう!と呼びかけたい。やられたことはキチッと世の中に間違った事をするな!と白日の元に晒してやろうではありませんか。女性だけがいやな思いを自分の中に抱え込んで、人格破壊されそうになるほどの思いをさせられ、セクハラ男の都合のいい人間にならないようにしよう!!
 と、ここで終わりたいのですが、頭にきている厭な事があるので、次号にぜひ聞いていただきたいと思います。(すっごく頭にきているMより)



☆ 宇都宮裁判傍聴記

 梅雨まっただ中のこの日は曇り後雨。でも折角つくったお休みだもの、とはるばる宇都宮まで出かけてみた。この裁判所はずっと前にもEさんの裁判でやってきたっけ、彼女は今頃どうしているかしら、あの裁判も簡単には行かなかったなあと、途中和解で終了した事件を改めて思い返す。
 今回の第8回口頭弁論は、原告に対する被告側本人と会社側の反対尋問の続き。もう3回目。いい加減にしてよといいたくなるような中身だけれど仕方ないのか。前回同様傍聴人は席の数と同じで(後から来た人も記者席に座れたみたいで良かった)抽選なしで済んだ。
 さて、またまた前回同様事件の日の特定で、さもKさんが曖昧なことを言っていると言いたいような中身から始まったが、そうは問屋が下ろさない。3月31日だろうが4月1日だろうが3日だろうが、大事なことは何を被告がやったのかという事。きっぱりと話すKさんの印象を強めただけの結果だった。
 後から聞いて爆笑物だったのは、Kさんが被告に立松和平の本を売ったという話。まるで彼女が自分の蔵書を親しい人に譲ったかのように言っていたけれど全く無関係で、彼の講演会の際、頼まれて本を売る手伝いをしただけという。質問にしか答えられないという尋問のルールから詳細はよく解らないまま、変てこな印象を残したが、事実関係は後でちゃんと文章で説明されるというから、あまりにいい加減な被告側の言葉が不快感を残す役割しか果たさなかった。また会社との話し合いの席で「あんなことどうという事もない」とか「女だと思ってなめんじゃないよ」とKさんが言ったとかの質問に「こういう風に言いました。」とすっきり話す彼女だが、そのやりとりで、かえって彼女の悔しい思いが印象付けられるものになった。
 また、会社側との尋問の中で主任の位置、職責上昇による椅子の変化など、改めてセントラルファイナンスの中での男社会の貧しさが伝わるものもあり、大いに楽しませて貰った。会社はもっぱら個人的な問題だったと処理しようとの方針がありありで、被告側の分裂でもあればもっと楽しいものになるのにと思った。
 この日はKさんが言いたいことをきっちり言う方針で臨んだそうで、弁護士はほとんど見守るだけ。本人はもっと言わなければいけなかったと反省しきりだったけれども、とんでもない。社会の中で成熟した個人として活躍している女性たちの1人がここにもいると皆に伝わった貴重な時間だった。弁護士のFさんが改めて横浜と宇都宮の事件の相似性に言及されたが全く同感。
 次は8月4日(木)午後1時15分から会社側の尋問の残りに続き、いよいよ被告登場。被告主尋問が行われます。クライマックスです。未だ傍聴していない人は今のうちに是非どうぞ!下手なお芝居よりも現実がどんなにおもしろいか皆に知らせたい!(いいお芝居も好きだけどね)               (働くことと性差別を考える三多摩の会 ガーデン)




☆ 6月9日宇都宮裁判を傍聴して

 書証、Kさん在職中の社内旅行の写真。「楽しそうにしているところばかり選んできたわけではないですよ」と被告会社代理人。傍聴席からは見ることができなかったがそこには、楽しい仲間と笑顔を交わす、過ぎし日の彼女の姿が写っていたのだろうか。
 「仕事は誰に教わりましたか」「直属の上司は誰でしたか」「車内の誰に相談しましたか」誰に?誰に?誰に?あなたではない他の誰に?‥‥‥なるべくなら迷惑をかけたくないと思っている人々のことを執拗に聞き出そうとする被告側代理人。元同僚、家族、婚約者、提訴することによって起きる波紋を受けることになる彼ら周囲の人々。原告本人はどのような事態にも対処する覚悟はできている(ことには、なっている)が、その他の人々を尋問のダシに使って来るとは何と卑劣な。被告Sの代理人が問う。「キスをされたあと、そのことを誰かに相談しなかったんですか?」‥‥‥Kさんは「悲しさや、悔しさや、恥ずかしさなどのいろいろな気持ちが涌いてきたけれども、心配をかけてはいけないと思って誰にも言えなかった」と答えた。「普通、こういうことは家族や婚約者の人に相談したいと思うんじゃないですか?」とさらに畳みかける被告S代理人。Kさんの答えは、同じだ。
 上段から見おろす3人の黒衣の裁判官、両側に居並ぶ双方の弁護団、見えないけれど、後ろに控える大勢のいろいろな立場の傍聴の人たち。その中に確かにいる友人、支援者、そして婚約者。人が心の内に思う気持ちがこんなに赤裸々に、公衆の面前に晒される場面が他にあるだろうか。良いことも悪いことも全てが公開される。法律を元に、それを司法官という、人が裁く。
 彼女がこのときどんな気持ちでいたか、私は彼女に聞いてはいないけれど。同じく裁定を待つ立場である私は、自分が尋問を受けたときのことを思い起こし、憂鬱な気分にならざるを得なかった。
 私には、裁判を起こすにあたって設けた支援の会のメンバーや、応援してくれる一般の人々はいるけれども、友人などの個人的に親しい人は裁判には関わってもらっていない。いてくれたらどんなにか心強いだろうけれど、心労を分配するよりも、堪えられるのであれば私ひとりのほうがいいと思うし。特に参加は求めていない。(参加者がいないというのが実状だが)‥‥‥私はずるいのだよ。きっと。そう思う。
 とにかく。あの気に食わない質問に答えるというのは、相当にエネルギーを使うものなのだよ。(文責・ぶっとびのA)



☆ 土下座男の正体を見てしまった!
     ― 八王子裁判報告 ―

 JR横浜線の東神奈川から八王子は始発駅から執着駅なのだ。およそ50分間の車中。八王子駅から横浜のAさんと一緒になって地裁に向かう。302法廷のある3階のエレベーター前にBさんたちがおり、Bさんが近寄ってきてうれしそうに手を握ってくれた。感動しながらテレる私。
 この日、Bさんの代理人S弁護士からのBさんへのいわば原告主尋問が始まった。
 1989年(平成元年)にH校長が配属されていた小学校に、教師として働いていたBさんは、H校長が来て2年目に人権尊重推進委員に任命された。それまであまり接触もなく無口だという印象しか持たなかったBさんのH校長に対する感じは、この委員会への同席を契機に変わっていった。当時、BさんはH校長から音楽担当を要請され、受諾していた。Bさんは登校拒否の子の訪問をしたい意向を持っていたので、担当の時間数が少ない音楽担当を、他の時間にこのことが出来ると思い受諾したのだった。
 1991年(平成3年)1月22日、いつもこの委員会のあとには飲み会があって、Bさんはお酒が飲めないのでジュースを飲みながら過ごし、やがて飲み会も終わり、店を出て一人で歩いていたらH校長が話しかけてきて、そのまま話しながら歩いた。本来乗るべき電車線を不本意だったがH校長にあわせ、車中、不登校問題や音楽担当の件についてなどを話していたが、「あなたは本当に優しい人だ。」と言い重ねてきて、Bさんはこれまでの仕事を評価してくれたと思い、うれしかった。H校長は次第に親しげになってきた。降りるべき駅を通過してしまったが近くの駅に降り、構内の階段を降りていく途中に手をかけてきた。Bさんはその手から肩をはずした。Bさんを近くの飲み屋に誘い、感謝の意を示す土下座を道路でするH校長であった。Bさんは「辞めて下さい。」をくり返した。後日、H校長は教頭時代からそうしたことを、酒を飲んだときによくやっていたと人から聞いた。飲み屋で公害問題やリサイクルの話をした。Bさんは割り箸を使わず、いつも自分の箸を持参している。そのことをH校長は褒める。「きょうは大変楽しかった。」と言われ、店を出た。Bさんはバイクを置いてあるところに向かう旨伝えると、H校長は送ると言ってついてきた。バイクのエンジンをかけようとしたら、H校長は突然ズボンのチャックを下ろし、性器を出してBさんの手をとってそれを握らせようとした。手を振りほどいたが、またもや同じ事をさせようとする。「辞めて下さい、やめてください。早く帰って!早く帰って!」と言うBさんに「今日はBさんとの記念すべき日だ。僕が校長でなかったらなあ」と言って駅のほうに行った。Bさんは怖くて怖くて、早々にバイクに乗って帰った。
 翌日から、Bさんは忘れたいと思うしかなかったが、Bさんにとっては忘れられない出来事であった。後日、H校長に職員室の入口ですれ違ったが、薄笑いを浮かべ頭をペコペコさせていた。これは「覚えている」と思った。酔っていて覚えてないということがよくいわれるが、これはそうではない。今後、他の人と違う扱いを受けるのではという恐れがいっぱいだった。出来るだけH校長の出席するような飲み会のような場は避けてきた。Bさんの準備してきたある人の歓送会にH校長も出席し、二次会の席で、ダンスを誘われたが、断った。主賓を見送るため店の外でたむろしていたとき、みんなと離れてひとり壁によりかかっていたBさんに、H校長が近寄ってきてBさんの首に手をかけ、厚い息を吹きかけてきたということもあった。
 法廷の外で時間待ちしていたBさんは緊張しながらも、事前に作った年表のメモを示しながら、「こうでもして覚えないとネー。」と笑って話した。公判でのBさんは、事件当日を思い出し、泣きながら訴える背中が怒りで震えて、廷内はシーンと静まり返った。
 加害者側の代理人は、新たに証拠(?)申請をした。ナ、ナ、ナント我が「クラブA」のbVと、女のホットラインの出したこの裁判に向けた支援のための傍聴を呼びかけるチラシではないか!
 次回の公判では、引き続きBさんへの尋問がBさんの代理人と、加害者側の代理人によって行われるが、この新たな証拠(?)のため、加害者側からの尋問時間が10分追加された。
 傍聴には16の座席をはるかに上回る26人が参加。頸肩腕症候群で労災認定され、無給の休職を無効として訴えて、地裁で勝利判決を勝ち取ったMさんは、富国生命(相手の会社)が、この判決を不服として高裁に提訴しているという事態の中を、参加してくれた。宇都宮のKさんも来ていた。次回の公判の法廷は、より多くの傍聴席があるところにと、裁判所は検討してくれるそうだ。                                   (文責・P)

  次回の公判  8月5日(金)午後1時05分 より



☆ 7月8日八王子裁判を傍聴して

 八王子の道は斜めが多い。垂直に曲がっていないのだ。横道ばかりでなく、かなり大きな交差点でもなぜか道が斜めに切り込んでいる。「直角に曲がれないのか!」と憤慨する私を、同行P女史は笑っていた。八王子地裁も、これまた建物内部が入り組んでいる。「なんで八王子ってこうなんだろう?」と、またわけもなく思ってしまった。
 それにしてもあのBさんの変わり様。全く、原告という立場の人は、やっているうちにみんなこうなっていくのだろうかと思うくらいの、めざましい変化です。先輩面するわけではありませんが、私よりあとに提訴された宇都宮、そして今回の八王子、共に、事件のショックからある程度立ち直りきる前の、いちばんひどい状態というのを私は見てきたわけですよ、自分の被害や悲しい記憶を思い起こしながら。そしてその彼女たちが日を追うごとに、しゃがみ込んだ状態から、片膝をつき、顔を上げ、何かにつかまりながらもふらふらと立ち上がり、ひとりで立って、しっかりと一歩を踏み出していく課程をずっと見てきたのですよ。何もしてあげられはしなかったけれど、彼女たちは自分の力でサバイバーとして生還したのですよ、私たちの前に。感動ですよ、この事実は。挫けることなく自分を貫き通してくれた。よくやってくれた、もう大丈夫だって‥‥‥とても嬉しい気持ちになりましたよ。ボロ雑巾のように疲れ、打ちのめされていた人が、明るい笑顔を今日、私たちに披露してくれた。とてもとても、とても、私は嬉しいです。つらいことはまだたくさんあるのだけれと、悲しいことももっと続くのだけれど、でもこうして今、笑顔を取り戻せたという事実が何より「大丈夫だ」という安心感を、私に感じさせてくれます。チャーミングでとてもきれいな、魅力ある、この人は女性だったのだなと、今になって気付かされました。
 裁判というのは勝訴を勝ち取るためのものではなく、自分自身を取り戻し確立するためのものなのですね。いや、人によってそうではないという人もいるでしょうけれど、私はそんな気が強くします。
 それにしても、傍聴に集まった約30人の顔ぶれの何と多彩であったこと。いわゆる「いつものメンバー」以外に教育関係各方面、関係職種、現在過去の職場関連、行政,PTA、宇都宮のKさんまで集まりまして、16席しかないイスに大中小様々なHIPを押し込むのにみなさんで苦戦しました。おかげでもうみんなしっかりおしり合いです。     (文責・A)



☆ 矢野事件の被害者を支援する会からの元気のイイご挨拶です

 横浜セクシュアルハラスメント裁判を支える会のみなさん、初めまして。会員になってくれてありがとう。矢野事件の被害者を支える会事務局からエールを送ります。
 まず最初に矢野事件の概略から紹介します。昨年、京都大学東南アジア研究センター所長であった矢野暢(とおる)教授の研究室の秘書が矢野教授からのセクシュアルハラスメントにより大量に辞職するという事態が起こり、センター内の女性職員らが事実の解明のためセンターや文部大臣に質問状を出し新聞報道されるに至りました。
 この報道を見た甲野乙子さん(仮名)が数年間にわたる強姦を含む自身の被害を女性職員に連絡し、弁護士との相談の上仮名で京都弁護士会の人権擁護委員会に救済の申し立てをしたというのがこちら側の動きの骨子です。
 矢野教授は8月にセンター所長を辞し、12月救済申し立ての直後に京大教授も辞め京都市内の東福寺に逃げ込みました。何人かの女性が東福寺に赴き、矢野元教授は東福寺を追われました。その後、頻繁にマスコミに登場し「冤罪、陰謀説」を書き散らし、この問題で女性教官の立場から積極的に発言していた京大人文科学研究所のO教授と甲野乙子さんの代理人であるI弁護士を名誉棄損で訴えたのです。さらに矢野元教授の配偶者が同じく名誉棄損で甲野乙子さんを訴えました。
 私たちは3月から4月にかけていずれも東京地裁に起こされたこれらの裁判を、京都地裁で審理されるよう移送申し立てをしています。定収入のない甲野さんには交通費だけでも大変な負担ですし、全てが京都で起こったことなのにどうして矢野元教授の都合で東京で裁判が開かれなくてはならないのでしょう。
 6月21日付で東京地裁はO裁判についての京都地裁への移送の決定を出しましたが、矢野元教授は東京地裁へ即時抗告しました。中身の審理ではない移送の問題だけでまた何回か上京しなくてはならなくなりました。矢野元教授は私たちを兵糧責めにするつもりかもしれませんが、高裁への抗告状で「(甲野乙子は)自ら進んで被害事実を申告し調査の申し立てをなした」のだから「多少の心理的葛藤を免れ得ないとしても」「甘受すべきである」などと書かれては「ここでひいたら女がすたる(甲野発言)」というものです。性暴力に声を上げた女性はしんどくても我慢せよなんて言う奴をぜ〜ったいに許せない!
 私たちは3月に矢野事件の被害者を支援する会を結成しましたが、直後に3件も裁判を抱え、とにかく交通費と弁護団費用と支援する会の運転資金を作るのに四苦八苦しています。横浜のAさんとは違って刑事でも民事でも時効のため裁判は難しい状況にあるのですが、いつであろうが声を上げた女性の口をふさがせないために、みなさんの息の長いご支援をお願いします。年会費2千円、年4回程度ニュース発行、カンパも受け付けています。



☆ 京大シンポジウム

 6月23日に「京大の権威構造と人権環境を考える全学シンポジウム」がみえる会ユニオンキリン、全学教官有志、全学自治会同学会などの呼びかけでありました。150人ほどの参加がありました。
 京大の意志決定機関の中枢や、東南アジア研究センターへ質問を出し、事実の解明と被害を受けた職員・教官・学生のための相談窓口を設置する方向で動いておられます。職員、教官、学生がそれぞれの立場から一緒に問題に取り組むということがあんまりなかったようで、画期的な出来事です。
 甲野さんも最初から京大に窓口を設置させたいと希望していたのですが、京大内部の動きがないと難しいと考えていました。今度のシンポジウムの枠組みが設置に向けて協力していけば、その希望も遠からず実現することでしょう。
   (文責・ピーチ セクシュアルハラスメントと斗う労働組合ぱあぷるの機関誌「それゆけ女たち」7月号より転載)



☆ カンパのお願い聞いてよね

 腹立たしいことに郵便料金の値上げで、ただでさえ乏しい財政は、ここに来て火の車。クソ暑い毎日と、不況でこれ以上蒸し焼きになったミイラ(ブタともいわれているが)にはなりたくないよー。みんなも苦しいだろうけどお願いします。



☆ シリーズ・我が弁護団 / 第1回・渡辺智子弁護士

   「セクシュアル・ハラスメントの被害回復のために裁判という手段をとるということ」
 横浜セクシュアル・ハラスメント裁判の提訴は、1992年7月14日、提訴してからもう2年になります。
 その3ヶ月前、4月16日に福岡裁判の判決があり、セクシュアル・ハラスメントが人権侵害であること、企業の責任も問われるべき問題であることが明白となり、ようやく現象としてのセクシュアル・ハラスメントから、人権問題としてのセクシュアル・ハラスメントに社会の認識が変わりつつあるところでした。
 ここで、企業の経営者にもそのことを十分認識してもらえたなら、セクシュアル・ハラスメントは、「裁判沙汰」にはならずに解決をすることが可能になるのだろうと思います。
 しかし、企業の経営者にとって、セクシュアル・ハラスメントは、人権問題でも、労働問題でもなく、ただのわがままな「女子社員」の引き起こしたねじ伏せるに限るつまらないトラブルでしかないことの方がまだまだ多いのです。
 そこで、彼女はどうしますか。泣き寝入りをしたくなければ、裁判をすることを決意します。
 横浜セクシュアル・ハラスメント裁判の原告であるAさんについても当初から裁判での解決だけを考えていたわけではありませんでした。相談を受けた後被告側と交渉をし、それがまとまらなかったので提訴しました。
 原告代理人である弁護士たちは、提訴にあたって「裁判は大変だ、最後までやりぬく覚悟はあるか」とAさんに問いかけました。被害の回復を望んでいる人間に対して「大変だ、大変だ」と釘を刺すような意思確認には、気が咎めますが、だからといって、途中で挫折すれば彼女にとって、更に傷を深めることにもなりかねないことを考えればこの手続きを無視しても通れません。
 裁判は、原告、被告双方の主張、立証のプロセスを2〜3ヶ月に1回の割合の期日で消化していくので、第1審で1〜2年かかってしまいます。真実を主張する側にとっては真実が法廷において明らかとされるまでの手続きは、もどかしささえ感じられるでしょう。
 裁判が進行するにつれて、私は頭の中で、原告の裁判に対する意欲が失われるのではないかという不安と、裁判に対する意欲を持ち続けてもらうことの残酷さへ呵責とを交錯させていました。
 金銭の問題ではないにしても、500万円の慰謝料の支払いを認めさせるためだけではできない裁判です。だからこそ、謝罪広告を求めているのです。
 原告本人尋問、被告K本人尋問、と審理が山場を迎えるにつれ私は、内心胸をなで下ろしていました。Aさんの裁判に対する主体的な関わり方を見ていて、この裁判がAさんにとって、必要な裁判であることを確信することができたからです。
 判決まで、あと2歩くらいのところまで来ました。
 振り返るにはまだ早いですが、Aさんにとって、やってよかったと言ってもらえるような裁判であったかどうか、そのことについて、代理人として、Aさんの信頼に反しない努力はしたという実感はあるのですが、いかがでしょうか?Aさん。



☆ Aさんコーナー

   「公判後半」
 法廷の廊下で、Sさんはひとりで本を読んでいた。弁護団から「話してきなよ」と言われ、私は少し離れたSさんのそばへ行った。
 2人目の子がまた男の子だったこと、Tさんも辞めてしまったこと、自分も今は本社勤務で、横浜営業所に残っているのはKさんだけだということ、‥‥‥そんなことを話しているうちに廷吏さんから入廷の指示があった。
 Sさんの宣誓は高校野球の選手宣誓みたいだった。私にはそれが妙に可笑しく感じられた。裁判長の対応がずいぶん親切だなと思った。もう見慣れた法廷内の風景と座り慣れた席。そして目の前にいるSさんの姿。3年前、事務所の前で別れたっきりのSさんの何の変わりもない姿。3年前から今日までの自分のことは私はよくわかってはいるけれど、そこへ突然タイムスリップしてきたかのようにあらわれたSさんは、私を「原告」と言った。‥‥‥ああ、私はSさんにとっても原告なのだろうか、と漠然と思った。これが、一見変わりなく見えるものの、実は大いに変化してしまっている私たちの現在の姿なのだなと。認めざるを得なかった。
 被告側弁護団からの主尋問も、こちらからの反対尋問もほぼ予想通りの展開だった。もしかしたらと予想はしていたが完璧に予定はできなかったある要素は、絡んできたけれど。それは今回の主役、Sさんの「正直さ」だ。原告でも被告でもない「証人」という立場に立った人にしては、凄まじいまでの、宣誓で誓った通りの、正直さだ。
 緊張している様子だったSさんは、最初はかなり「練習をした」話し方で証言を始めた。でも話すにつれ、後半になるとほとんど、事件が自分たちの上にどのようにのしかかってきたのかということを、Sさん自身が感じた気持ちを中心に語ってくれた。‥‥‥私の希望と彼らの希望が同じだったこと。彼らがしようと、またはしてくれたことと、私がしたこと、そしてどちらにもできなかったことがあって‥‥‥それから、私と彼らの間にできて、だんだんと深まって行った溝‥‥‥自分の感じたことだけを追求して、今まで省みることのなかった当時の彼らの心境を、その本人の口から初めて、はっきりと聞いて、私は心の中で涙した。すれ違いの原因、それは私にもあったのだ。第三者から見て大したことではなくとも、Sさんにとっては何より許せないことであったのだなと。そんな思いを抱きながらもSさんは、私をかまってくれていたのだなと思うと。申しわけなくて、でも悲しいくらいにうれしくて。人はやさしいものなのだなと。
 閉廷後、被告側弁護団に囲まれてエレベーターに乗り込んだSさん。ここで言わなければ、もう一生会う機会もないかもしれないと思った私は「Sさん!」と彼の名を呼んだ。扉の閉まりかけたケージの奥で顔を上げたSさんに私は(ありがとう、元気でね、と)手を振った。‥‥‥10センチの隙間の中に、手を上げたSさんの姿が見えた。
   おまけ「コール・バック」
 「反応」という言葉を当てはめたらばいいのでしょうか。「答え」、「回答」ではなく「手応え」の答
えです。
 私が発信したメッセージを受けてそれを取り込み、感じたことを送り返してくれた人がまたひとりあらわれました。‥‥‥つながる気持ちは弱ったこころを支える力となり、送ったほうも送られたほうもあたたかく、うれしくなります。この繰り返しで、もっともっとたくさんの人が、うれしくなって元気になれたら‥‥‥それを見ている私はその何倍も元気になれて超ラッキーだわ、ワハハ!あっ、殴らないでください〜ヽ‥‥‥
 匿名でいたくなくなって来ているのですよ。判例さえ出ればどちらでもいいではないかという意見もありますが。とにかく、判決まで漕ぎ着ければ「匿名でもセクシュアル・ハラスメント裁判はできる」という前例はできるのだから。でも私は「神奈川県横浜市在住の『???』」という、Xではない実在の人物として、この裁判を終了させたいなと。だって、「Aさん」は仮の名なのだもの。「私」ではないのだもの。
 ‥‥‥コールを受け取って、この2ヶ月半ずいぶんと親しくそばにいてくれた人がいます。なんったってお見合いですもの、そりゃあ当たり前ですよね、もう今は友人ですが。‥‥‥こんなことばかりやっているのですよ、ねえ。どこかに逃げ道を探して、毎日、いるのに、それは混沌の中に自らを投げ入れる作業でしかない。「相手あってのことだから難しい」って、でも要は私ではないですか。どこかが間違って、こうしているわけなのですよ。「『???』はそのままでいい」と言ってくれる人がいても、私は子の、今のままでは満足ではないのですよ、不安定なのですよ。私が、では、その、満ち足りるためのひとつの手だてとして?実名を明かす?それで自分が自分であることを強調して、それでまともになった気分になれるのかって?
 私が本当に満足のいく気持ちになれるには、何がどうなればいいのでしょう。それは「神のみぞ知る」ではなく「私のみが知る」なのでしょうね(笑)。

追記 「あんたも親になればわかるわよ」などという最終兵器を使う親には、私は一生認めてはもらえないのだろうな。とすれば私の不満は永遠に解消されないということだ。全く、生まれながらにしてこうなのだから。




《 編集後記 》

 この数日間、本名を名乗りたいAさんといつも一緒になって何かしてたり、飲んだりしてきた。Aのかくされた真実をいくつか知って、ナイーブな側面が結構あって、フムフムという感じであります。でも、心の底から裁判をして良かったと思っているのは確か。みんなご自愛を!(P)

 作業中、西地区センターへ申し込みに、ちょっと抜けたらそこのそこの図書館をちょっと覗きに、VIVREのバーゲンへ、レイジーフェアリー・レイジーウイッチへ買い物。2時間も遊んでしまった!これからばんかいします!(こぐま)

サミットで村山首相が倒れた、金日成が死んだ、というニュースが駆けめぐる激動‥‥‥みずらの事務所は明日の総会準備でバタバタ‥‥‥あわただしい中での作業でした。でも、ようやく「クラブA bW」の発行の目途ができてホッ!激動が女たちの未来を暗くしないように―――。(うつ気味のQ)

7月30日京都へ行って来ます。ぱあぷるや矢野事件の甲野さん、連合滋賀関係の人たちにも会ってきたいと思います。そのあと8月4日の宇都宮、5日の八王子までハシゴをしてきますので、次回報告しますね。(ぶっとびのA)

<Kさんへ> 本日はすれ違いになってしまいましたがいつも遠いところをありがとうございます。「クラブA」も最初の版をかたちづくってくれたのはKさんだし、本当にお世話になりっぱなしです。これからもよろしくお願いします。(ぶっとびのAより)



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