クラブA bP5 

                   1995・10・30  発行 横浜セクシュアルハラスメント裁判を支える会事務局



☆ 東京高裁での控訴審 第1回の報告

 落ち込んで陳述書を準備するのが大変だったAさんですが、去る9月19日(火)に、控訴審の第1回口頭弁論がありました。書面交換だけでした。今度は、Aさん側が「控訴人」、加害者側が「被控訴人」と呼ばれます。
 まさか、セクシュアル・ハラスメントの事実はなかったと裁判所が判断するとは思っていなかったということで、「冷静」であるかのように見えるAさんの行動は、事件がなかったことを示すものではないということを「証明」することに、控訴審では力を入れる方針です。
 そのために、フェミニスト・セラピーを主催している河野貴代美さんを証人申請していますが、裁判所はすんなりとは受けてくれていません。
 まず、鑑定意見書として河野さんの意見を出すようにという指示で、それを見てから証人として採用するか判断するとのことです。いずれにせよ、しょうにんとしてひつようであるという理由をきちんとつけて申請するようにということでした。
 被控訴人K(加害者)の答弁書は、Aさんのとった行動はセクシュアル・ハラスメントを受けた被害者の行動としては「不自然」だということに終始しています。
 私が今いちばん腹が立っているのは、Aさんが「後ろから抱き付くジェスチャーをしたあと泣いた」のは、演技をした疑いが強いと言わざるを得ないとKの代理人が書いていることです。
 ところで、Aさんの裁判の前に行われていた裁判の「お兄さん」が、「裁判は終わってねえヨ」「K(裁判官の名前)を呼んで来い」と書記官を相手にごねていて、私たちはしばらく待たされました。
 書記官は「次の人たちがまってるでしょ」「話は聞くから、ともかくここから出て下さい」となだめるが、ごねる、ごねる。最後に「お兄さん」は、制服を着た係官(正式な名称を私は知りません)に、力ずくで引きずり出されてしまいました。
 見ていての感想は「いいな、私もあんなふうに一度ごねてみたい!」「何でAさんの言っていることは、ウソナンダヨ〜。ふざけんなよ。」「お兄さん、がんばれ!」という感じでした。  (とんがらし)

  次回公判  12月19日(火) 午前10時30分〜

     東京高等裁判所 809号法廷
          営団地下鉄・丸の内線 霞ヶ関駅 出口A1 徒歩1分



☆ 宇都宮から、最新のメッセージ

 こんにちは。
 「クラブA」に登場させていただくのは2回目(?)ですが、月日の経つのは早いものですね。前回は2年前の夏でしたが、今とは全く違う状況でした。(当たり前ですよね)
 横浜裁判は控訴審へのスタートを切り、宇都宮裁判は会社側証人尋問というクライマックスを迎えるなど、お互い勝利に向かって邁進しています。
 お互いの代理人がW先生だったことで、より早くぶっとびのAさんと知り合えたことに私は感謝しています。いまさらながらにいうのは何なのですがぶっとびのAさんがいてくれたことで元気になれたことはたくさんあります。ぶっとびのAさんとは、裁判をはじめたのも年齢も数ヶ月違いで、事件のケースもとても似ています。身近にそんな女性がいることだけでも心強くなれるのに、プライベートな話題も遠慮なくできたり、話をしているととても楽しかったりするのですから、どれほど心強かったことかわかっていただけるかと思います。
 横浜裁判の一審判決は「不当判決」そのもので、私は怒りに思う意外表現できませんでした。
 また、横浜判決は、宇都宮裁判に対しても投げかけられたものであるとも感じました。
 裁判するからには訴えを認めさせたいし、また認めるに充分足りることであるのに、これでもか!という証拠でもないかぎりなかなか認めないケースも多いですよね。
 裁判になれば時間もお金も必要になる、法廷で必ず傷つけられるシステムができあがっている、棄却される可能性もある、いろんな犠牲も考えられるのです。そんな中で裁判に訴えることそのものがセクシュアルハラスメントの存在を立証するものなのではないでしょうか。
 そんなことを考え、悔しいやら腹が立つやらの思いでしたが、横浜判決で1つだけ確信したことがあります。画期的な勝利判決であれ、不当な敗訴判決であれ、裁判を起こす(裁判だけではないけれど)立ち上がる、ということは、前進への大きな一歩なのだということです。
 ぶっとびのAさんと私の価値観は違うかもしれないし、私はまだ判決をもらっていないからひとごとのように聞こえるのかもしれないですが、1人の人間としてぶっとびのAさんの闘いに感激しているし、勇気づけられています。
 私も同じ原告として判決を迎える日がきます。そのときに、自身と責任を持ってやるだけのことはやったと納得できる闘いを続けていきたいと思います。
 宇都宮裁判も12月2日で提訴3年を迎えます。
 「3年間も長すぎるわよね」とよく言われます。たしかに長いのかもしれませんが、私には3年間が駆け足で過ぎていたように思えます。
 4年目はどんな年になるのだろう、5年目はどんなことを考えているのだろうと思います。
 裁判はまだまだ続きますから、一審が終わるころには「とーっても長かったわよね」などという言葉が交わされるのかもしれませんが、判決の日までたくさんの人たちに関心を寄せていて頂きたいと願っています。
 11月18日には宇都宮で3周年記念集会を行い、私の3年間の思いや闘いをお話ししたいと思っています。集会には横浜裁判のぶっとびのAさんにもスピーチしていただきますので、とても心強く思っています。忙しいかとは思いますが、皆さんにも参加していただけたらとてもうれしいです。   (宇都宮セクシュアルハラスメント裁判原告)



☆ 障害者Aさんの東京高裁での控訴審について

 10月11日に予定されていた第1回控訴審は控訴人(加害者)の控訴取り下げによって開廷されませんでした。
 弁護団によれば9月4日と29日に準備手続として被控訴人側と高裁との打ち合わせを行ってきましたが、10月11日当日の午前11時55分に、和解調書(判決に代わる書面)という形をとって取り下げられたとのことです。
 準備手続の段階では、控訴人は刑事告訴(Aさんは刑事告訴もしています。)の取り下げを要求してきましたが、これはとても受け入れがたいこと。裁判所としては金額を提案してきたとのことです。お金の問題ではない!というAさんの気持ちを大切にした今回の結果ではあります。
 しかし、加害者が今だ改心せず、職場を変えたぐらいのことでしかないことになんとも言えない気分。ほんとにアノヤロウは何も考えていないと思う。   (P)




☆ 八王子Aさん裁判 12月11日結審へ

 八王子A子さん裁判の弁論兼和解期日は、6月26日、7月20日、9月28日の3回にわたって行われた。
 裁判官から双方に和解の意志があるか、どのような内容なら和解できるかとの打診があったとのことだが、被告校長側は最後まで和解を拒否し、結局和解案は提示されなかったとのこと。4月24日の教頭の証人尋問の後、被告代理人が「いくらか払って和解することはあり得ません」と言っていた「強気」がそのまま維持されたようだ。
 加えて被告側からは、またまたA子さんの人格攻撃するための陳述書がたくさん提出された。被告本人の書いた陳述書は、内容、表現ともにお粗末で、私が被告代理人だったら「これは提出したら不利だ」と忠告したいようなもの。それ以外の陳述書は、当時の教頭、同僚、PTAの役員などが書いたもので、A子さんがいかに駄目な教員であったか‥‥‥自己主張が強く、周囲とのトラブルが多く、あの人なら捏造だってやりかねないという悪意に満ちたものだった。A子さんは受け取った夜は眠れなかったというが、あまりの悪意の強さに読ませてもらった私もどっと疲れが出た。目撃者がいないのをいいことにして、ここまでA子さんをおとしめ、傷つけながら「事実無根」と言い切る校長のやり方こそ卑劣だと私は思う。
 「密室でのできごと」を立証することの困難性を超えられないとセクシュアルハラスメント裁判は勝てない、というのが横浜セクシュアルハラスメント裁判で痛感させられたことだった。(横浜裁判では、概念そのものが否定されたという気もするけれど)この壁をうち破るために何が必要なのかと考え続けている。
 女性が性的被害を受けたと(やっとの思いで)誰かに話したとき、「スキがあったのではないか」「誘いにのったのがいけない」「ふしだらな生活をしていた」等、まるで本人の落ち度のように責められるのが残念ながら今の日本の常識だ。そのスティグマを覚悟し、お金も時間もかけて捏造した事実のために裁判を起こす女性がいるはずがない。校長と親しい同僚が、A子さんの目の前で「支援する会ニュース」を引き裂いて見せたという。裁判を起こすことに対してさえある「嫌がらせ」に耐えて、A子さんが維持し続けている「最初の怒り」を裁判官はぜひ受け止めて欲しいと思う。   (働くことと性差別を考える三多摩の会・パラソル)



☆ 刑事訴訟第二審・傍聴記

 手錠を掛けられた人というのを初めて見た。TVなどで見慣れているはずのものが、物凄い衝撃と共に目に焼き付いた。
 自分の口頭弁論が終わったあと、私は誘われて刑事事件の公判を傍聴した。数年前、パスポートを取り上げられて、強制売春をさせられていたタイ人女性たちが、数人でその店のママを刺殺したという事件があったことを、私も記憶していた。殺人の罪に問われて一審で有罪判決を受けた彼女が、そこにいた。
 開廷時刻になり、傍聴席の柵の向こうにあるドアから、看守に付き従うように彼女は入ってきた。大柄の看守にはさまれた彼女の細い手首に、銀色の手錠が、腰に巻かれた逃走防止の縄とつながれていた。縄の先は後ろにいる看守が握っている。一瞬、柵のこちらにあるかないかの微笑を見せて、厳しく調教された犬のように、行儀よく、彼女は柵の前の席に着いた。傍聴席のいちばん前で、先ほどからしきりに目にハンカチを当てていた中年の女性が手を伸ばした。柵の向こうの彼女の背中に、力強く、手のひらを押しあてる。肩甲骨の浮き出たTシャツの背中が、かすかに反応した。
 「確かに事件現場にはいたが、殺害に加わってはいない」というのが彼女の主張だ。一緒に傍聴したうちの会員のNが「典型的な冤罪だ」と言っていた。
 彼女が逮捕され、身柄を拘束されてから3年が経つという。買春をさせられるなどとは夢にも思わず祖国を離れ、言葉も通じない過酷な環境の中で、それでも運命を受け入れ、自由になれる日を夢見て生きてきたのに。その努力が報われて、解放・結婚を目前にしていたというのに。
 尋問を終えて、椅子から立った彼女は、裁判官に向かって両手を胸の前で組み、一礼した。仏教国タイの習慣なのだろうか。
 10月19日、東京高裁724号法廷、午後3時。
 判決を下した人。起訴し、控訴された人。起訴され、有罪判決に対し控訴した人。控訴人の代理人。通訳。書記官。廷吏。控訴人の家族。控訴人の友人。控訴人の支援者。マスコミ関係者。その他。
 裁判には様々な人たちがさまざまな形で関わっている。様々な思いとそれぞれの思い。考えたくはないが、同じだけの思惑。
 理由や状況、その他を考慮しても、とにかくここは日本なのだから、「日本国憲法」に違反することは、やはり、いけないことなのだ。そういう判決でした。
 考えてみたら、憲法が「正しい」なんて誰も言ってはいない。裁判所はただ現行の法律に見合わせて、判断しただけのこと。提出された「結果」を審理して、そこに「情状酌量」などというものが加えられるなんて、まあ、有り難いことこの上ないということか。
 刑事裁判の結果は「罪と罰」なのだ。「対、法律」だから。民事はそうではない。
 ド素人の私は刑事裁判の傍聴席に連なり、また、自分に見えていなかった常識を発見してしまった。   (文責・ぶっとびのA)



☆ 性的嫌がらせに対して沈黙を破ろう
   ――― キャサリン・A・マッキノンさんを迎えて ―――

 9月22日、横浜女性フォーラムにおいて「これってセクシュアル・ハラスメント!?」と題した集いがありました。
 「フェミニズムと表現の自由」の著者であるキャサリン・A・マッキノンさんが初めて来日し、しかも最初の講演を聴くことができるのです。嬉しいことに我が弁護団の1人Kさんが日本のセクシュアル・ハラスメント事態を紹介してくれるという超豪華な顔ぶれ。
 キャサリンさんを招くことができたのは、あの角田由紀子弁護士(沼津判決、西船橋事件の判決、池袋判決、福岡判決)の助力によるものとのことでした。
 フォーラムのセミナールームはいつの間にか満席になっています。
 女性フォーラムの理事長の有馬さんの挨拶の後、Tさんからキャサリンさんのプロフィールが紹介されました。
 数々のセクシュアル・ハラスメント裁判に関わりながら、アメリカで初めて女性学を興した方で、昨年には合衆国レベルの「女性への暴力に関する法律」を制定させることができたそうです。現在はミシガン大学法科大学院教授。
 Tさんは、日本のセクシュアル・ハラスメント裁判の経過と状況を紹介し、現在関わっている横浜裁判と地裁判決についても言及しました。

 いよいよキャサリンさんの話に入ります。
 これまで「女性の経験」であったことから「法制化」に至る今日まで、法律的概念として必要とされてきた「セクシュアル・ハラスメント」とは何か…。
 望まない性的圧力―――拒否できない立場の人に起こる。社会のあらゆる所・あらゆる社会の中で起こりうる。例えば、職場、学校、家庭…。特定の力ある者がおり、力のない者がいることを制度化している社会、男権的社会、男性が女性に近づくことができる場所、家庭、刑務所、エスニスティー(文化的に異なった集団、例えば年齢や宗教、性的嗜好など)で起こり、労働や勉強ができなくなる。
 時に女性からのセクシュアル・ハラスメントを言われることがあるが、人が犬を噛むぐらいにありうるが、ごくまれである。
 私は道徳的意味合いで(セクシュアル・ハラスメントが)いけないと言っているのではない。(今の)性道徳はセクシュアル・ハラスメントを認めている。私は、「望まない性的強制」に反対している。性暴力は女性が女性であるためになされている。売買春(女性を性的対象として売買すること)しかり(職場での代償型セクシュアル・ハラスメントはこれに類する)。
 1975年(コルネ・デバーン裁判…性差別に基づく行為として認められた)まで、セクシュアル・ハラスメントはみえないもので合法的なものであった。1975年にセクシュアル・ハラスメントはみえるもの、違法行為となった。トーマス判事を訴えたアニタ・ヒルさんの闘いによってアメリカ女性はアメリカ政府への批判をつのらせ、クリントン大統領を成立させた。これ以降、雇用平等検討委員会に女性の訴えが増加した。
 セクシュアル・ハラスメント裁判の全面勝訴の場合、マスコミはあまり大きく報道しない。対外的に公にしないことを約束させられ、多額の金額が支払われている。
 公的に女性の被害を認知するために、法律的に性差別の一形態とする論理を展開してきた。ジェンダー(社会的な性別)による差別であり、個人的なことではない。集団的行為であり、男性役割の一例であって、肉体的差異のせいではないと言い続けて、1986年法的原則が認められた。
 連邦政府の女性職員の85パーセントがセクシュアル・ハラスメントをなんらかのかたちで受けており、このうちの3分の1はかなりひどい状況であることがアンケートによって明らかになった。1990年に2度目のアンケートを実施したが、同じ結果であった。この結果によってセクシュアル・ハラスメントをやらせない実践的なことを目的とさせることができた。
 (セクシュアル・ハラスメント防止法(仮)の)法制化は平等原則の概念がより質の高いものになっていくと思っている。
 キャサリンさんは終始歯切れのよい語り口で、通訳が「クラブA」の読者であるHさんだったことも嬉しかった。   (P)



☆ キャサリン・マッキノン講演会「女性に対する暴力‥‥‥いま何が問題か」

 アメリカからマッキノンさんが来日すると聞いて、心待ちにしていた。マッキノンさんはアメリカのラディカル・フェミニストで、反ポルノ条例に向けた闘いに取り組んだ女性として有名であり、私にとってはとてもインパクトの強い女性であったから。
 9月23日、キャサリン・マッキノン講演会「女性に対する暴力‥‥‥いま何が問題か」(日本弁護士会主催)に参加した。定刻を少し過ぎて会場は超満員、私は前の方の床に座り込んで話を聞くことになった。
 彼女の講演は理論展開が明確で明快。「男の攻撃は系統的で誰にでも起こる可能性があり、女の沈黙を招く。女への暴力は神話化され正当化され、犠牲者の責任とされる。ジェンダー女への不平等と相互作用がある。他の暴力は文化の違いにより変化があるが、女の暴力に関しては変化がなく、低く見られているという共通点がある」そして子供への性的虐待、セクシュアル・ハラスメント、夫からの暴力、強姦、買春、ポルノについて展開し、「子供時代の性的虐待により、少女は大人になって再び夫からの暴力にさらされやすくなり、少年は大人になって暴力を振るうようになりやすいという形で、暴力を再生産する」こと、「これらの全ての暴力を結合し、組み合わせる物がポルノグラフィーである」ことを力説した。
 ホットな情報として、1994年に連邦法として「女性への暴力に関する法律」が成立したという。女への暴力は性差別に基づく権利侵害であることを明記し、検察が告発することを待たず本人が告訴できる。刑事罰を科すのではなく、被害者に損害を与え平等を侵害したと定義される。女の過去は必要以上に明らかにされず、犠牲者を責めることは以前より難しくなった。女の抵抗度も問われなくなった。また、男の他の女性への行為も証拠として扱うことができるようになった、という。この新法に関しては、以前より進歩したということは分かるが、果たして具体的にどのような成果があるのか、いまいち理解できなかった。
 マッキノンさんは惚れ惚れするほど素敵な女性で、講演後の仲間同士の感想は、髪型のことやファッションのことで持ちきり。私は彼女の著書「ポルノグラフィー」にサインをしていただいた。後日、個人的な会食会がありお会いしたときは、ポルノの話題を中心に日米の交流をしたが、その折、一緒に記念撮影をした。希望者にはお見せすることもやぶさかではない。
 今まで「見たくない」という拒否意識が強く、取り組むことが恐くて逃げたきたけれども、反ポルノの運動にも取り組む必要があることを痛感した記念日だった。   (Q)



☆ Aさんコーナー

 O・Jシンプソンに無罪の評決が下った。じゃあ真犯人はどこへ行っちゃったワケ?(ちなみに彼は来月にもイタリア人のモデルと結婚式を挙げる予定でいるとか)
 黒人だからやったのだろう、売春婦だから人殺しもするのだろう、女だから嘘を言っているのだろう‥‥‥世界中どこ行ってもこのテの発想は変わらないみたいですね。
 「声を上げていくことが大切だ」とマッキノン教授は言っていた。私は付け加えたいな。「そして相手にもされなかったり、逆に握り潰されてしまう、踏み台になる人間も必要だ」と。講演の最後の「日本にもS・Hの問題に取り組んでいる弁護士や闘っている人がいることを知り、私はその方たちに敬意を表します」という彼女の言葉には「いやあ、マッキノンに敬意を表されちゃったよ、ヘヘへ」と、嬉しくて涙が出たが、実際の裁判では涙をのむことになる可能性が結構高い。
 日本男児は、どうしたら女の言い分を信じるだろう。身の潔白を証明するために、女が何をしたら納得するだろう。髪が女の命であった時代には、髪を切り落とすことでその覚悟のほどが知れたわよな。私は、今でこそ腰まである髪を、かつてテクネットを退社した日、5ミリの刈り上げにしたことを忘れてはいない。髪はもとの長さに伸びた。しかし神に誓って述べたはずの真実は通らなかった。やはり目に見えないものは信用できない。トイレの落書きにもこう書いてあったな。「カミに頼るな。ウンは自分の手でつかめ」×××‥‥‥
 ところで沖縄の、米兵による少女強姦事件。これを機に地位協定を覆そうと、事件を利用している(ようにも見えかねない)大人たちには私は憤りを感じる。彼女の被害と現在、将来を一体誰が救済してくれるというのだ。全く。
 話は変わって、8月、ずいぶん前のことで恐縮だが、私は大阪へ行って来た。河野貴代美さんに会うためだ。ビンボーな私は金券ショップで青春18きっぷを2枚買い、自宅からいちばん近いJRの駅の始発(4時45分だった)に乗り、東海道線の鈍行を乗り継ぎ乗り継ぎ、やっと大阪・東堺にたどり着いたのは、約束の3時のわずか10分前だった。新幹線のグリーン車で先行した(のは私だよな)弁護団のNは涼しい顔で待っていた。河野さんはさすがカウンセリングのプロだけあって、その話っぷりにはぐいぐいと引きつけられるものがあった。特に「セクハラにあったことを認識していなかった(できていなかった)状態」に私自身が陥っていたことを改めて指摘されたときには、なんだか目の前の紗が取り払われたような気がした。
 さて、お話が終わったらば、ぱあぷる訪問である。昨年京都で会った連中に再会できるかと思うとウキウキワクワクである。途中、難波で待ち合わせたMさんとカプセルホテル開店の看板「ニッコリ笑って見送れ終電」を見つけ、ミョーに感心する。(他に、ドレッシングのポスターで「明石のタコでマリネ」というのもあった)事務所では機関誌「それゆけ女たち」の発行作業をしていたので、横浜敗訴判決の折りに、怒りの寄せ書きを送ってくれたメンバーにも、初めて会うことが出来た。それからビールと日本酒と、なぜか泡盛という大変なおもてなしを受け、午前0時を過ぎてからは"カラオケの城"というところで豪遊させていただいた。翌朝(11時を過ぎていたが)は天満駅前のセルフサービス形式の食堂(ごはん80円、味噌汁100円、煮物○○円‥‥‥というところ)でブランチをして、関西に来たぞ気分をしめくくり、無事、帰途につくこととなった。最後に見送ってくれたストウと別れて、大阪駅から東海道線に乗る。新淀川にかかる長い鉄橋を渡ると、左右に広がった河川敷の向こうに、知らん顔の高層の町並みが遠くなっていく。眺めているうちに、怒濤のような1日が夢のような1日に変化して、自分の深いところに沈んでいくのがわかった。
 帰ってみれば陳述書である。ここでは「苦労した」とだけ言っておこう。作成秘話だとかって、知りたいのだろうけれど、それをどう書いたらいいのかわからないし、私にとって陳述書を書くことも、書かなければならない事態も決して愉快なことではないから。



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