クラブA bQ3

                     1997・5・24  発行 横浜セクシュアルハラスメント裁判を支える会事務局



☆ 第10回口頭弁論報告

 4月10日、手帳に「横浜、結審」と書き込んであった日、課長に「日中に3時間だけ時間休を取りたいのですが」と頼み込んで東京高裁へ。前回で結審のはずが、「裁判長が代わったから」とかいう理由で延期になっている。
 控訴人、被控訴人の双方から書面の提出。相手から出された書面の中に、かの秋田地裁判決が含まれていた。
 傍聴者(支える会)一同、顔を見合わせ、ムカッとなる。いいんだいいんだ、こちらには矢野事件判決があるもんね、今に見ていろ!と内心思う。「裁判官の交代がありましたし、どちらも本日付けで書面が出されてるので検討の時間が必要ですから結審は次回に。」ありゃ!
 Aさんは「こんなに長くなっちゃ老けちゃうよ」とぼやいていたのでした。   (パラソル)

  次回第11回口頭弁論  6月3日 午後1時30分
     東京高等 809号法廷

 今度こそ結審、らしいです。




☆ 矢野事件の小野裁判の判決 素晴らしい贈り物をありがとう

 去る3月27日、いわゆる矢野事件(矢野教授がノーベル賞の審査委員でもある権威有る教授という地位を利用して、周囲の女性を次々とレイプしてきた事件)に関わる小野裁判というセクシュアル・ハラスメント裁判の判決が出されました。
 この裁判は、矢野元教授(京都大学)がやってもいないこと(セクシュアル・ハラスメントやその極端な場合であるレイプ)を小野教授がマスコミ(京都新聞1994年1月25日)やシンポジュウムの文書(1994年2月20日)に公表したとして、京都地裁で名誉毀損の裁判をおこしていたものです。(間違ってはいけませんよ、原告は加害者矢野で被告は真実を公表した小野さんなのです)
 判決は、真実が認められ、小野さん側の全面勝訴でした。
 これからの矢野事件に関わる裁判(被害者甲野乙子さんを矢野元教授の妻がやはり名誉毀損で訴えている裁判や、正当な弁護活動をしてきた井口弁護士を矢野元教授が名誉毀損で訴えている裁判など)は勿論、現在係争中の全国のセクハラ裁判、言うまでもなく我が横浜裁判にとっても大きな勇気を与えてくれる内容の判決文となっており、各地から祝辞や激励が届いているとのことです。
 その判決文の主旨を大雑把ですが紹介したいと思います。

 判決文要旨説明(「ファイトバック」より抜粋) (『』の中が判決文からの抜粋です)

1、 セクシュアル・ハラスメントとレイプの定義について

 『「セクシュアル・ハラスメント(セクハラとも略される。)」とは未だ多義的に用いられている概念である。法的責任の根拠として用いる場合には、「相手方の意に反して、性的な性質の言動を行い、それに対する対応によって仕事をするうえで一定の不利益を与えたり、またはそれを繰り返すことによって就業環境を(著しく)悪化させること」などと定義づけられるが、社会学的には、「歓迎されない性的な言動または行為により、(女性に)屈辱や精神的苦痛を感じさせたり、不快な思いをさせたりすること」「性的な言動または行為によって相手方の望まない行為を要求し、これを拒んだ者に対し、職業、教育の場で人事上の不利益を与えるなどの嫌がらせに及ぶこと」とも定義づけられ、日常用語例では後者を指すことがほとんどである。
 一方、「レイプ」とは「強姦」とほぼ同義の概念であるが、日常用語例としては、暴行または脅迫を手段としなくとも、女性の意に反して男性が強要した性交渉一般を指すことも少なくない。また、女性の意に反した性的な行動という側面の共通性から、レイプがセクシュアル・ハラスメントの極端な場合であると位置づけることも、日常用語例では誤りであるとはいいがたい。
 ところで、社会的評価は、結局、一般通常人の受容の仕方に依拠せざるを得ないから、言葉の意味も日常用語例に従って判断するのが適切である。』

 この定義の意味するところは、被害を受けた人が不快であったか無かったかがキーポイントとなっていること。そして「レイプがセクシュアル・ハラスメントの極端な場合」と位置づけること−すなわち、セクシュアル・ハラスメントはレイプの一形態ともいえること。横浜裁判にとってこれはほんとーに大きな成果といえます。しかも、刑法上の強姦罪では「暴行と脅迫」が必須条件のようになっているのですが、一般的にはこれを伴わない強姦がよくあるのです。言い方を変えれば「暴行と脅迫」が無い強姦に「レイプ」という名をつけたと言えます。

2、 甲野乙子さんの被害について

A 甲野さんの被害全体についての認定

 『(甲野)がホテルの一室において、性的関係を原告に強要されたことは、原告に性交渉と直接関連する暴行、脅迫をしたところが認められ、原告の威圧の下に甲野が意に反して行われたものであるから、「レイプ」というべきものである。
 さらに、原告の研究室に勤務した間にも原告から強要され続けた性的関係は、原告が東南アジア研究の第一人者として有していた学会での強い発言力と日本における数少ない東南アジア研究の拠点であるセンターの実質的な人事権を有していた教授であり、一方、甲野が東南アジア研究を行いたいという希望を持つ学生ないし非常勤職員であり、原告の意向に逆らえば、解雇、推薦妨害、学会追放等の不利益を受け、自らの研究者としての将来を閉ざすことになりかねないという構図の中で、暴力的行為を伴いつつ、形成、維持されたものであったといわざるを得ない。それゆえ、右関係の形成、維持は「性的な言動または行為によって相手方の望まない行為を要求し、これを拒んだ者に対し職業、教育の場で人事上の不利益を与えるなどの嫌がらせに及ぶこと」というセクシュアル・ハラスメントに該当するというべきである(しかもX年にわたって継続された。)したがって、甲野乙子事件は事実であるというべきである。』

B なぜホテルの部屋についていったか

 『また、原告は3回目の約束の日に、ホテルの部屋に入って甲野の手を握る行為に出るまでは、極めて紳士的な対応で甲野に接していたのであり、一学生として、これまで2回の食事代を原告に出してもらっていたこともあって、申し出を無下に断るのは失礼だと考えて、原告の申し出に応じてホテルの部屋に行った(甲野証言)ことはあながち不自然な行為とはいえず、これをもって原告との性的関係を望んだ、あるいは承諾したというには足りない。』

C なぜ逃げなかったか

 『原告が甲野の前に立ちはだかっていて、抗おうとした甲野を罵倒し、その頭部を平手で数回殴りつけるといった、それまでの紳士的な対応とはうってかわっての突然の粗暴な対応に出たため、驚愕混乱して冷静な対応ができなかったことによるものであり(甲野証言)、これも不合理であるとはいえない(原告は殴打の事実を否定するが、治療に行かなかったからといって、障害の程度が重大ではなかったといい得ても、殴打の事実がなかったとまではいえない。原告との意に反した性交渉が発覚することを恐れた甲野の場合はなおさらである。)。そして、再度、罵倒、殴打され、理詰めの問いに原告の納得のいく答えを強要される状態にあったのであるから、原告の要求が甲野にとって逆らうことのできないものに感じられたとしても不自然ではなく、その事実をもって合意によるものだとはいいがたいところである。』

D なぜ次の約束に行ったか

 『意に反した性交渉をしてしまった自分が惨めに感じられ、恥ずかしく、誰にも相談できず、呆然として日々を過ごしたという甲野の証言にてらすと、これをもって甲野が原告との性交渉に合意していたとはいえない。』

E なぜ勤務し続けたか

 『何回か原告の研究室の勤務を辞めたい旨原告に申し入れたが、その度に原告が激怒し、殴られるなどして辞意を撤回させられたり、勤務中に批判的な言動をする研究者にたいし人事上の嫌がらせを執拗にする原告の様を目の当たりにしていたことも考え合わせると、甲野の右のような行動は、研究者の道に進みたいという将来の希望をつなぐため、原告の求める性的関係をもはや明確に拒むことができない精神状態になってしまっていたことによるものと見るのが合理的である。』

F なぜ告発に時間がかかったか

 『強姦の被害者が意に反した性交渉をもった惨めさ、恥ずかしさ、そして自らの非を逆に責められることを恐れ、告発しないことも決して少なくないのが実状であって、自分で悩み、誰にも相談できないなかで葛藤する症例(いわゆるレイプ・トラウマ・シンドローム)もつとに指摘されるところであるから、原告との性交渉をもった直後あるいは原告の研究室を退職した直後に甲野が原告を告発しなかったことをもって原告との性的関係がその意に反したものではなかったということはできない。』

 ああ、なんという素晴らしい贈り物。どれだけ多くの女性が希求していた判決であることか。判決文を読みながら係争中のあの人この人と思い起こしては、喜びに浸る被告達や弁護団、支える人たちとともに喜び合いたい。そして、感謝の波動をつよく伝えたく思います。
 恥知らずにも矢野は高裁に控訴したとか、ほんとーにバカヤロウですね。
 我が横浜でもなんとしても勝訴して、この素晴らしい贈り物に応えていきたくおもいます。あと少し、もうちょっとの辛抱でありますように…。   (P)



☆ 7.5宇都宮裁判支援集会のご案内

 1992年12月、職場で受けた性的な人権侵害を実名で裁判に訴え、たたかってきたKさん。その裁判も結審間近となっています。
 Kさんの裁判を支援してきた私たちは、自分の受けた被害の回復だけでなく、2度とこうした被害を出したくない、というKさんの気持ちが裁判所に届くことを強く願っています。そのためには、公判を通じて明らかになった被告個人の行為を認定するだけでなく、被害が起こったときの適切な対応も、それ以降の防止義務も怠ったばかりか、被告の行為を助長さえした企業の責任を明白にする裁判こそ、強く求めていかなければなりません。
 私たちは、この裁判で明らかになったことをより多くの人たちと共有するためには、女と男が理解し合うことを妨げている壁そのものを見つめ直す必要があるのではないかと考えました。そこで今回は、第21回公判で提出された鑑定意見書の大きなテーマである、社会的に形成された男女間の認識・文化のギャップについてをメインテーマに、この集会を企画しました。このテーマは、日本のセクシュアル・ハラスメント裁判のなかでは初めての問題提起であり、注目を集めています。ぜひ多くのみなさんの御参加を心よりお待ちしています。


女(ひと)と男(ひと)、分かり合いたいのに、なぜ?
   7.5宇都宮セクシュアル・ハラスメント裁判支援集会

<日   時>  7月5日(土) 会場1時 開会1時半〜4時半
<集会場所>  パルティ(とちぎ女性センター)宇都宮市野沢町4−1
              JR宇都宮駅よりバスで25分 とちぎ女性センター前下車
<会   費>  800円

<プログラム>

●  Kさんの挨拶
●  経過報告 福島瑞穂弁護士
●  報告 中村・小倉・渡辺各弁護士
  ○ 会社責任についての判例の現状(日本・アメリカ)
 ○ 日本のセクシュアル・ハラスメント裁判判例における性暴力についてのジェンダー・バイアス
●  講演 池田理知子先生
「男女のコミュニケーション・ギャップ」
●  パネルディスカッション
「日本のセクシュアル・ハラスメントと外国の事情」
パネラー : エリック・M・クレイマー
        キャサリン・バーンズ
        エイドリアン・ワグナー
         小倉弁護士(未定)
● 質疑応答

<主催>7.5宇都宮セクシュアル・ハラスメント裁判 支援集会実行委員会

   第1回控訴審  6月4日(水) 午後1時15分
     仙台高裁 秋田支部にて




1997年 3月28日 「毎日新聞」
   京大辞職・矢野氏疑惑「セクハラあった」京都地裁が初認定
  「手記筆者への訴えを棄却」

 元女性秘書へのセクシャル・ハラスメント疑惑の渦中で京大を辞職した矢野暢・元京都大東南アジア研究センター所長(60)が、同疑惑で地元紙に手記を寄せた小野和子・元京都大教授を相手取り、「セクハラが事実のような手記で名誉を損なわれた」として慰謝料1000万円を求めた訴訟の判決が27日、京都地裁であった。窪田正彦裁判長は、矢野氏のセクハラを認定したうえで、「手記の内容は真実と信じるに足る相当の理由があった」として訴えを棄却した。矢野氏はこのほかにも、元秘書や弁護士を相手取り同様の訴訟2件を起こしているが、セクハラが認定されたのは初めて。
 判決によると、小野元教授は1994年1月に掲載された手記で、矢野氏のセクハラ問題について「元秘書に対し、レイプに始まるすさまじいまでのセクハラがあった」などと書いた。矢野氏はそのような事実はなく、手記で教授職を失ったなどと主張。口頭弁論には元秘書が出廷し、セクハラについて証言した。
 窪田裁判長は元秘書に対する矢野氏の行為について「威圧の下、元秘書の意志に反して行われた『レイプ』というべきもの」と認定。「矢野氏はセンターの人事権を持ち、意向に逆らえば解雇などの不利益を受ける構図の中で、元秘書は性的関係を強要された」とし、セクハラと認めた。

  「救済の道広げた」
 セクハラ問題に詳しい渡辺和子・京都産業大教授(女性学)は「大学内でのセクハラが問題になっているが、女性の言い分がなかなか信じてもらえなかった。判決は女性の証言を全面的に認めており、セクハラの法的救済の道を広げた意義がある」と話している。


1997年 3月28日 「京都新聞」
   「セクハラ」認定 矢野元教授の訴え棄却 京都地裁判決

 元女性秘書へのセクシュアルハラスメント(性的嫌がらせ)疑惑の中で辞職した矢野暢元京都大教授(60)が「セクハラが存在したかのような虚偽の事実を新聞などに公表され名誉を傷つけられた」として、小野和子元京都大教授(65)を相手に1千万円の慰謝料を求めた訴訟の判決が27日、京都地裁であった。
 窪田正彦裁判長は「矢野氏は1982年から6年間、暴力的行為を伴う、相手の望まない性的行為を要求した」として矢野氏の行為をセクハラと認定、訴えを棄却した。
 窪田裁判長は「矢野氏に逆らえば研究者としての将来に不利益を受けかねない構図の中で、研究者を目指す元秘書に対し性的関係を強要した行為はセクハラに該当する」と判断。「小野元教授の公表内容は、真実あるいは真実と信じる相当な理由があり、名誉棄損の責任は負わない」とした。
 矢野氏のセクハラ疑惑をめぐっては、矢野氏側が元秘書らを相手取った訴訟3件が京都地裁で審理中。
 小野元教授は「矢野元教授のセクハラ事件の真実性が認められてうれしい。被害女性の主張を全面的に認めた画期的な判決で、同種の訴訟に影響するだろう」と述べた。
 矢野元教授の代理人は「セクハラを真実と認定したのは承服しかねる。ただちに控訴する」と話している。
 小野元教授は94年1月、京都新聞に矢野元教授の元秘書へのセクハラ行為を指摘する手記を寄せるなどしたため、矢野元教授が名誉棄損で訴えていた。



☆ 復活のAさんコーナー

   「客観視」

 正午前の京浜急行の車内は閑散としていて、視線の先には変わり映えのしないのしない沿線風景が広がっている。地下に入ると車窓に映る自分の姿が見える。東銀座で日比谷線に乗り換えて霞ヶ関までは5分。A1出口を上がれば見慣れた裁判所合同庁舎の門はすぐそこだ。見慣れたというのは妙な表現だろうか。裁判所という公共施設に立ち入ることは私にとってもう何でもないことになっている。
 入口のチェックを通過すると私の足は南EVホールへ向かう。待つあいだに溜まった人たちと押しくらまんじゅうのようにして乗り込まなければならないのが結構楽しくない。

 裁判所合同庁舎の水平な断面は長方形だ。その長いほうの辺と同じ長さの一本の廊下が、天井の高いフロアの中央に走っている。左右には横道のような廊下が何本もあり、中央の廊下から分厚いガラスドアを押し開いてその廊下に入ると、突き当たりは床から天井までの大きな嵌め殺しの窓だ。いつもの809号法廷のあるそこからは人事院ビルの建て替え工事現場が見下ろせる。ふたつの中庭を持ったB字型の建物が、戦時中には隣のA字型の警視庁と共に米軍の格好の爆撃対象になるのではないかと言われたという、その同じ形のものがまた建てられつつある。初めて高裁へ来たときはその重々しい立派な建物が何であるのかを、私は知らなかった。何度目かに来たとき、じき取り壊されるのだと聞いた。解体が始まり、更地となり、地上部分の1/6と建築基準法で定められた深さの穴が掘られているところを私は見た。横浜のランドマークの掘削も物凄かったと思いだしたりした。オウム裁判のある日は眼下の路上に小さく、マイクを持ったリポーターの姿を見ることもある。そんなときふと、自分以外の全ての物が透明であったら、この窓辺に立つ私の姿はどのように見えるのだろうかと考えたりする。

 法廷には窓がない。天井の蛍光灯だけに白く照らし出される静かな空間が弁当箱のように中央で区切られている。傍聴席のオーディエンスと私たち。一体どちらがオカズなのだろう。
 次回期日を裁判長が示し「差し支えあります」と代理人たちが断る、そんなやりとりを聞いていると運命を弄ばれているような感覚になる。
 弁論が始まってから裁判所を出るまで、自分を他人のような視線と感覚を持って見るもうひとりの自分の存在をことさらに感じる。退廷するとき、現実にその辺りにある光景を見ているのが自分の目ではないような気がする。歩ている足が床を踏んでいる気がしない。話しかけらるのも応えるのも億劫で、何かしようという気力も立ち上がることもしたくなく。ただ誰もいな
いところでひとりになりたいと漠然と思う。悲しさや悔しさ、苛立ちといった感情もすぐには涌いてこない。その日が終わり部屋へ帰ると、疲れて棒になった足を感じる無感覚な自分を他人のように意識する。その日に法廷であったことを正確に受けとめ、判断できるまでにはしばらくかかる。
 3年くらい前からだろうか。裁判以外のときでも私はふともうひとりの自分になり、自分を見下ろしていることに気付くときがある。

 ここに2枚の写真がある。Kと私がふたりで写っている、形見のようなものだ。
 私には寂しがり屋の自覚も弱い人間であるつもりもなかった。甘え、もたれかかろうとした覚えもない。
 Kを翻させたことは何だったのだろう。好かれたのも嫌われたのも実に簡単だった。わかり合う間も、主張する間も、許し合う間もなく、拒絶されてしまった。「もう関わり合ったりしないほうがいい」という意志に対してできることは関わらずにおくことしかない。始まりも終わりもあまりに一方的だった。翻弄されたつもりはないが喪失感は果てしがない。呆としながらも、カップルや小さな子供連れを見ると堪え難くてその場から逃げ去りたくなる。私をこのようにさせるために、この出合いと日々は仕組まれたのだろうか。

 後日、ある本の一節から私はこう閃いた。Kは私の体が好きだったのではないかと。体(外側)は心(内側)も含めた全体なのだけれど、全てが表れるわけではない。Kは、私を見るときにKの心の中に涌くイメージ(理想)を好いたのだ。Kの目に映った私を自分好みに感じ取ったのだ。私本来の私を捉えていたのではなかったのだ。仕事上で重大な転機に立たされていて、脇目も振らず、ただ今を生きることしかないKには、人のことなど考えている余地はなかったの
だ。
 ならば、私は閑人なのだろうか。

 自分がそうであると認めるには私はあまりにもまともな社会生活を営むことが出来過ぎているようで憚られる。しかし私の思考も行動も、そうでなければ説明がつかないことが多々ある。それは、最新刊の辞書にもまだ載せられていない「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」というやつだ。
 文献によると幼少時から思春期にかけての苛烈ないじめやS・H事件、その後の裁判や私生活の状況で私はそうなりつつも、現在はどうやら快方に向かいつつあるようだ。
 女性が性暴力事件の被害を受けて告発すると、原告として立証責任を負うことになる。そのために、発生した事件の全ての内容と、そのときにとった行動や心に浮かんだこと、持てる感情やコンプレックス、思考の方向や特性までをも細かに分析し言語によって明文化する。三次元の形骸を保つ肉体の纏う衣服を剥ぐよりも的確に、その作業は行われなければならない。それは個人が個人としてこの世に生まれた巡り合わせや運命の不思議を全く無視して、人間を文字という現実的表記に変換するものである。結果仕上がった「事件に関する記録」というデータは確かに被害者そのものでありはするけれど、全くそのものではない。生きとし生ける者のプリミティブな叫びはまた別の層のものとして離断されているからだ。
 そんな切り取られた人生の説明を客観的に自らの手で造りあげねばならず、そうしてしまったという事実は本人にどのような効果をもたらすだろうか。感情を押し隠すことが日本人の美徳と言われてきた生い立ちを持ちながら、その正反対の行為を自らに課したことは。
 前記の文献に寄れば、それは「治療の方法」であるということだ(しかも唯一の)。しかし失敗すれば自己の崩壊をも招きかねない危険さを持ち合わせていると私は思う。
 私は、それは徹底的に自分を見つめ直すということで、例えれば自分の全てをジグソーパズルのように分解してもういちど組み直すようなことなのではないかと考えた。一切が破壊された後には再生あるのみとするならば、サバイバーにとってこれは己を生かすための必然的作業といえるかもしれない。そうやって自分を確認することによって初めて生き続けられるのかもしれない。再生のためのエネルギーを我が身を裂いて供給する。でもその我が身はもはや他人のようだ。しかしエネルギー供給源に還元された我が身を汲めども尽きぬ泉として使用し続けられるのは自分だ。自分しかいない。なぜなら、それは自分だからだ。自らを生贄にすることによって生き続けることが可能になる、この一連の作業が「癒し」なのだそうだ。
 パズルなら楽しいかもしれない。けれど粉砕された石膏像を復元するのならどうだろう?私にとってこの訴訟は負け続けた人生への反撃であり、挑戦だったのだから。

 実は私には文章を書くことが「癒し」になっているようだ。これを「ライティング・ヒーリング」というのだそうだ。だから私はみんな書いてしまう。何より「認められたい(自分が存在し続けていることに誰も異議を唱えてはいない)」と願っている私は、書いたものを自分の手元にしまってはおけない。
 でも私は己れの内面を披露するだけで回復できるわけではない。私に向けられたいじめが自分たちにも波及することを恐れて去っていった友人たち、提訴を決意したことによって私に別れを告げた親友、今なお訴訟を無視し続けている親族たち、訴訟の課程で損なった数々の人間関係、それらはもはや奪還不可能だ。だから新たな関係を築き、継続することによって自分は「不必要な存在」ではないという安堵を得ることが必須なのだ。でもそれは文章を書くことよりもずっと困難なことだ。なぜならそれらの事態によって私は心根をひどく蝕まれてしまったからだ。
 訴訟の場にはサポーターがいる。しかし私が最も欲している(手に入れれば満たされるかもしれないと想像している)ものは、そんな私の心根のせいで全く入手不可能な状況にある。それはつまり、Kを希んだのにあえなく潰えた、という類のことだ。
 本復成らない私には恋愛は最も危険なものかもしれない。成れば、そのたったひとりに誰よりも「認められた」と感じることで、全てのPTSDの飛躍的回復が期待できる。逆に成らねば悲嘆に暮れるだけでなく、相手をも傷つけたと思うことで己れの「不必要さ」感をさらに深める。陥る感覚の麻痺状態と偏った思い込みによる尋常でない行動は、ショックに見舞われた私がH山の海辺で一晩を過ごしたときのことを書いた「クラブA」bP4の通りだ。

 きっかけや出会いの訪れも、そのときの本人の状況がどうであるかも予測はできない。でも、初めにそのことに気付かなかったKがあとでそれを発見して善処することを拒んだからといって、責められるものではない。Kにとってこそ私との出会いは「災難」であったのだろうから。
 私が回復するための関係は異性との間では創られないのかもしれない。この点について私はもう断念すべきなのか。これ以上私による犠牲者を出さない(自分も傷つけない)ためにも。
 今私のまわりにいるサポーターは、もうずっと以前から「(自分で)己れを治すのが先だ」と言っている。でも私は、「何かがあれば、私は治ることができる」と主張してきた。平行線のこの認識はたぶん終生変わらない。そして私は、治らずに終わる。Kとのこともそれを示唆している。

 確実に回復の方途を掴んではいても、治癒に至るにはまだほど遠い私は、そんなことが起きるたびにまた傷口を広げる。虚しく開いた穴を埋め尽くすようにほとんど毎晩飲み、喉元まで食べ、そして全部吐き出してしまう。飲み食いの終了とともに吐くのは太るのが嫌だからだ。なぜなら、文章と同じく体が他から「認められている」ものだからだ。酔いは翌日まで残ることがしばしばあり、その食費と酔いの勢いでかける内容を覚えていない長電話の料金が自己嫌悪を招く。でもそうすることを抑えられない。

 ゆとりを取り戻したい。私は、誰でも自分に余裕がなければ他人を思いやることなどできはしないと思っている。余裕は、たとえ自分がふたつに割れても必要なものだ。それこそがKを惹きつけたのだろうし、その同じ要素が私の個性で、力であると思っているから。

 法廷から人波から立ち去りたがって「好き勝手に振る舞うことは人として許されない、それは甘えているだけだ、常識やマナーすら放棄している」、としか評されない最近の私は原告Aである場面ではその余裕を完全に失っている。しかしこの状況に対して「どのような理由があっても」とか「悲しいのはあなただけではない」などという諌言は何の処方にもならない。それは前述の理由による。なぜそうなのかを解明して対処できなければお話にならない。

 道化にならずに自然体であることにも努力をしなければならない滑稽な己れの姿を、やはりもうひとりの私が、また見下ろしている。



《 編集後記 》

 「犯罪被害者の心の傷」(小西聖子著)を読んでいる途中で、皮肉なことに親しい友人のKさんが殺害されると言う悲しい出来事を経験した。どちらかというと性暴力や性的虐待に興味を持って読んでいたのだが、殺人事件の遺族のトラウマやその後のPTSDも自分の経験になってしまった。悲しい、口惜しい、納得できない、許せない…どんな言葉でも言い表せない感情がときどき溢れそうになる。
 大きな声で「助けて!殺される」と叫び、多くの住民がその悲鳴を聞いているというのに、誰もすぐには駆けつけてくれなかった。もっと早く来てくれれば命はとりとめたかも知れないのに…と思うと悔しくて悔しくてやりきれない。セク・ハラ裁判では大声で助けを求めなかった、抵抗しようとせず、逃げようともしていないと被害者はせめられ、だから被害はなかった、なんて豪語する判決が出ているけれど、大声だして騒いだから殺されただなんて(犯人が言い逃れで言っているのかもしれないが)。どうしたって女は救われないというわけだろうか。私はKさんが恐怖の中で一世一代の大声をあげ、必死の抵抗をしたことを心から支持したい。
 その男が8年前の暴力と恐喝事件の加害者だと認識した時、彼女はすぐに殺されると思ったのではないかと思う。どんなにか怖かっただろう!女が1人でも安全に生き生きと働き、生きれる社会を目指して人一倍熱心に闘っていたKさんだから、こんな理不尽なことで命を奪われることは、どんなに残念なことだろう。考えれば考えるほど悲しくて悔しくて、怒りが心の奥に沈殿して無力感にさいなまれてしまう。
 亡くなられて1ヶ月目の今日、彼女が好きな黄色と紫の大きな花束を贈った。どうぞ安らかに天に召されますようにとの祈りを込めて。彼女の無念は私たちが引き継いでいくしかない。(Q)

 「ゆりかもめ」を読んで、ウルウルとなってしまった。
 ちょっと古い表現だが、「女たちが時代を切り拓いた」と思った。それにしても、被害が被害として認められるという当たり前のことを、泣いて喜ばなければならない現実って何だろう。「女性の人権」という言葉が市民権を得た現在だけれど、何と貧しい現実だろうと思うと腹がたつ。
 勝訴判決は西の方から来る、まるで桜前線みたいだとも思った。桜が遅くとも必ず咲くように、関東、東北の裁判もいずれは必ず勝つと思いたい。(K)

 私の周りの親しい人、あるいはその母親がこの間亡くなって、なにやらうろたえてしまっています。KさんについてはQが伝えていますが。パート先のオーナーの女性が実母を亡くし、仕事場で時に嗚咽しているのを目の当たりにしてたりして、かける言葉を失っています。
 そんな矢先に矢野事件判決を手に入れ、うれしいことはすぐに伝えたい衝動に勝てなかった私なのに、涙目のオーナーには話すのを躊躇したりしてしまって…。
 とは言っても、しっかり今日は矢野事件判決を役立たせて東京地裁を後にしてきました。今日(5/23)はMさんの裁判だったのです。次回は6/27。6/25には八王子裁判が高裁で本人尋問とか。上げ潮じゃあ!いざ!いざ!(P)

 みなさんもどこかの駅で、あのポスターを目にすることがあったろうか。素晴らしく蠱惑的なデザインのおかげで5月3日が交通広告の日であることは、よくわかった。よくわかってもらうためにああいう表現が必要だとして採られたなら、私たちはずいぶん見縊られていると憤慨すべきか、それともそんなものを歓迎している人々を見下すべきか。私は制作側の次元の低さを思うけれども。(A)



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