クラブA bQ5 最終号

                      1998・2・1  発行 横浜セクシュアルハラスメント裁判を支える会事務局



     判決確定!!


 すでにお知らせした、昨年11月20日に出された勝利判決は、12月8日までに被控訴人達の上告がなかったことをもって確定しました。
 判決が下されて間もなく、清水建設、テクネット両者からは上告しないとの連絡を受けていましたが、加害者Kの代理人からは何の音沙汰もなかったので、ヤキモキしながらこの日を待っていたのです。
 ようやく、芯からほっとすることができました。
 これからは、この判決を有効に活用していただき、各地の裁判によい影響があるよう願ってやみません。
 ご支援、ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました。               支える会事務局一同



◎ 判決当日の傍聴者から

・ あたりまえの真実ですが、地裁判決がひどかったので、とてもうれしいです。(みよ)

・ 一審がダメだったので、無理だろうかと思って不安な気持ちで高裁に来たので、判決を聞いたときは、ウワッ良かったと思いました。清水建設まで及ばなかったのは残念!!これで世の中の認識、少しずつ変わっていって欲しい。(すっごく頭にきてるM)

・ 胸がいっぱいです。原告Aさんや弁護士、支える会のみんなの努力のたまものです、当たり前のことが認められる大変さを、つくづく知りました。今後のセクシュアルハラスメント裁判にもよい波及効果があるとよいと思います。(こぐま)

・ 裁判所のジョーシキって、私のジョーシキとはちがうのかと思ってましたが、少し近づいたのかな、と思います。(りこ)

・ 傍聴席で一瞬ドキドキしたのでフーッと深呼吸したあと裁判官の「275万円を支払え」という声が聞こえ「う?」と思い、体中がフワァーとした。勝った!この流れにドンとのってゆきたい。(マッキー)

・ やっとこの日が来ました。当たり前のことが当たり前として認識されるのに、これだけの月日が必要だったのですね。とにかく嬉しいの一言です。(おタカさん)


◎ 勝利判決を聞いて

 本当にうれしく思います。うれしくて、涙が出てくるくらいです。このような行為が、犯罪でありやってはいけないことだと、公に、法的に認められた事実は、とても大きいと思います。
 この判決は全ての女性にとって、とても重要で、生き易くなることだと思います。
 それは、友人とも話しましたが、職場で、このように体を触られたりする経験がある女性がどれだけたくさんいることでしょうか!
 原告のAさん程ではないかもしれませんが、私の友人もそのようなことをされた経験があるといい、私も過去にそのような不愉快な思いをしたことがあります。
 仕事をしにきているのに、なぜこのようなセクシュアルハラスメントに遭わなくてはいけないのでしょうか。
 それが、この判決のおかげで、このようなことは「性的自由の侵害、人格権の侵害」とはっきりと明記してくれたのです。
 まさにその通りなのですが、世の中、このような「性的自由の侵害、人格権の侵害」行為がいかに、横行していることでしょうか!
 それによって、どれだけ、女性たちが生きにくく、仕事をやめざるを得なくさせられてきたか!しれません。
 判決1つが出たからと言って、すぐ世の中全てのセクシュアル・ハラスメントがなくなる訳では
ありませんが、ものすごく大きな力になると確信しています。
 これも、原告Aさんの頑張りのたまものだと思います。
 一審の横浜地裁のあまりにも、ひどい判決に、屈することなく、また、控訴審での、とてもつら
い証言にも、耐え、やり抜いた、その力、パワーを心から讃えたいと思います。
 また、弁護士の方々の苦労・努力がこの判決を逆転勝訴に導いたと思います。控訴審での、Aさんの証言での打ち合わせや、多くの意見書や鑑定書を出し、アメリカのセクシュアル・ハラスメントの判決文を日本語に訳して、高裁に出した、その苦労や努力は並大抵のことではなかったと想像します。その労苦に対し、心より感謝したいと思います。
 そして、支える会の事務局の方々の、苦労・努力も大きなものだったと思います。地裁判決で負けて、ときには落ち込んだだろう原告のAさんを支え、この「クラブA」を出し、傍聴を呼びかけ、弁護士の方々との連携もされたと思います。その活動を、心より讃えたいと思います。
 最後に、これは今まで、このような女性に対する侵害行為と闘ってきた、全世界の女性たちにも感謝したいと思います。
 日本国内でも、最近、熊本での勝訴の判決、三重での勝訴の判決、また京都の矢野事件での勝利判決など、これらの闘いも、この判決に多く影響したのではないかと思います。
 また、実際、控訴審判決では、アメリカの判決を参考にした訳であり、その判決は、アメリカ女性たちの闘いで得られたものだと思います。
 地裁判決のように「性的侵害行為にあったら、すぐに大声を出して、逃げ出す」なんて、全く現実をしらない人がいうことです。
 そのまちがった認識を正してくれたのは、今まで、このような女性に対する侵害行為と闘ってくれた、多くの女性たちのおかげだと思います。
 多くの女性たちの勇気と力に感謝しつつ、しばらくこの喜びにひたり、多くの女性たちとこの喜びを分かち合いたいと思います。
 そして、しばらく休養しながら、今後のことは考えたいと思います。   (T)


◎ 二審判決決定!待ちに待った結論!

 5年余りを経たこの日を、原告Aは勿論!弁護団、支援の面々は首を長くして待っていました。
 思えば、92年の4月、福岡裁判の勝訴を耳にしながら同年9月に提訴した我が裁判は、95年3月にメッチャクチャの敗訴。2審への控訴を余儀なくされて、昨年11月20日、2審逆転勝訴判決を手に入れました。
 敗訴の一審判決は瞬く間に、宇都宮・秋田を襲い、秋田においては、横浜の一審判決に追い打ちをかけるように、訴えたことに対する(マスコミに発表したことで)報復的な判決までもが出されてしまいました。
 横浜の一審判決は、被害者像に関するステレオタイプのとらえかたが巾を利かせた判決であり、このことは原告Aさんを孤立させ、「現実性のないあるべき被害者」を一人歩きさせました。弁護団は二審に向け、鑑定書ならびに陳述書、あるいは研究結果などを提出して、「現実の被害者像」を立証してきました。
 この間、東京、富良野、京都、熊本などの勝利判決を受け、セクシュアル・ハラスメントの定義などが明示されたほか、マスコミ(NHK「クローズアップ現代」、福島瑞穂さんによる著書「裁判での女性学」)などに後押しされつつ、毎回の傍聴に多くの方々の参加によって、今回の勝訴が勝ち取られたのです。
 本当に、全国といわず世界の様々な方々に助けられ、原告Aさんは非常に幸運な結果を手にすることが出来ました。支える会事務局の一員として、このような結果を共に喜び合える機会を得たことを大変感謝しています。ありがとうございました。

 思えばいろいろとありました。一審判決後のAは、プライベートな面でも問題を抱えていて、非常に危うい状態が続きました。支える側としても黙っていたわけではありませんが(言い過ぎた面があったやも…)、万策尽きた感が有り、しばらく遠巻きに見守っていた時期もあります。当時、Aさんとしては裁判そのものよりも、身近に精神的安定を得ることのできる男性を求めてお
り、こればかりは支える会としてはなんともしがたく、彼女の努力に任せるほかありません。しかし、毎回の事務局での打ち合わせや作業が、彼女にとって楽しくないという場ではなかったと思われるし、彼女らしさを発揮できる数少ない関係が育っていった様に思います。
 今後、こうした関係が、どう発展するかしないかは、原告という立場を脱ぎ捨てることが出来たAさん次第ということになります。まだまだセクシュアル・ハラスメント裁判が闘われています。Aさんがやれることはいろいろと有るように思われ、こうした場で元気なAさんと再会出来ることを期待しています。
 心配の種は尽きまじ初雪の寡黙にならえ老婆心かな
     PのAに対する只今の心境でございます。
 みなさん!良いお年を!   (P)


◎ 新幹線に乗って

 判決の当日、福島から新幹線で東京駅に向かった。初めて知ったことだが、朝7時発の新幹線は全席自由だった。
 ピーちゃんは占いを3つ見たそうだが、私は朝の天気を見ていた。さわやかに差し込む朝日をながめて、「縁起がいいよ」と心の中でつぶやく。反面、敗訴だったらAさんに何と言おうかとも考えつづけた。敗訴だったとしてもあなたのせいではない、日本の裁判所のレベルがまだ低いのだとでも言おうか‥‥‥。
 1時間早く着き、控え室もまだ開いていなくて、通路の反対側の控え室で新聞を読んで待った。10時近くなっていつもの顔ぶれがまた集まってきたのを見て移動。高岡弁護士が「判決のあとはAさんについていてあげてね」と言うのを聞いて、やっぱり敗訴の可能性も考えているのかな、とドキドキ。法廷に入り、手帳を取り出す。メモを取る必要のある判決であることを祈った。「訴えを棄却する」なんていう判決だったら、書くまでもないのだから。
 「原判決を次の通り変更する」という言葉と「275万円」という言葉を聞き取って「勝った!」と思った。周りを見ると皆の目が輝いていた。うれしかった。
 支える会の発足から5年、今思い返せば、傍聴に行くこととニュースを発行するくらいの地味な活動だったけれどそして途中でいろいろあったけれど、Aさんと一緒にここまで来れたことがとても嬉しい。山道を一歩づつ歩いて頂上に着いたような、深い喜びを感じている。
 私は過去に、セクシュアルハラスメント裁判の勝利判決に2回接している。1回目は1992年の福岡判決、2回目は1996年の八王子地裁判決(現在高裁で継続中)。福岡には前日に飛行機で出かけた。八王子のときは、やはり福島から新幹線で来た。遠くから乗り物を使って判決を聞きに行くと縁起がよいというジンクスが私の中でできつつある。次は秋田へ勝利判決を聞きに行かなければ、と思う。飛行機がいいかな、新幹線がいいかな‥‥‥   (パラソル)


◎ 時代は変わりつつあると思う

 事務局スタッフは長い文章をということなのですが、その時間がどうしてもとれません。今回はこれで失礼させて下さい。
 Aさんは「自分のため」に裁判を起こした。判決がでてこの6年間をふりかえると、たたかう中で「みんなのため」にもたたかうことを要求されて、大変だったときのAさんを思い出します。
 でも、逆転勝訴して、やはり日本の女の歴史に大きな足あとを残したよね。
 ニュースを見ていても時代は変わりつつあると思う。帝京大学のラグビー部や日本体育大学のアイスホッケー部や日本クレー射撃協会の起こした事件にしても、昔だったらにぎりつぶされたのだろうと思う。被害を受けても泣き寝入りしなくてすむような土壌ができてきたのだと、うれしい。
 がんばったAさんに乾杯!   (とんがらし)


◎ みんなありがとう

 この横浜セクシュアルハラスメント東京高裁判決は、今までのセクシュアルハラスメントの裁判の歴史を変える大きな節目になったと思います。被害にあったときの逃げられなかった理由が理解され、やむを得なかったことと認められたのですから‥‥‥。
 今裁判で闘っている女性たちや職場で性暴力を受け悔しい思いをしている多くの人たち、今後訴えていく人たちの大きな励みになっていくでしょう。
 Aさん、弁護士さん、裁判を支えてきた皆の力の結晶だと思います。
 これからは、この判決結果を生かしていくために、何ができるか考えて行動に移していけたらと思います。
 今わたしは「暴力」ということに強い関心があります。言葉の暴力も含めたより広い範囲での暴力です。言い換えれば、より権力を持つものから持たないものへの権力の濫用についてということでしょうか。多くの場合は、「男から女へ」「大人から子供へ」「経済力のある者からない者へ」「職場の上司から部下へ」「教師から生徒へ」「先輩から後輩へ」「『健常者』から『障害者』へ」「多数派から少数派へ」などというパターンだと思いますが。
 自分に置き換えてみると私自身も意図的にではなくても加害する側になっていることもあると思います。
 常に自分自身を見直すと共に、他人がしていることにも決して無関心でいてはいけないな、と思う今日このごろです。
 この裁判は、私にとっても多くのことを学ぶ機会となりました。裁判をきっかけに出会った人たちとの関係もこれからも大切にしていけたらと思います。
 Aさん、そして支えてきたみんな、ありがとうございました。   (こぐま)


◎ 努力がむくわれるのは嬉しい

 どういう訳か一審は雨の日、雪の日など悪天候にみまわれ、私は膝を悪くして重い足をひきずってせっせと通ったが心はイケイケ気分だった。しかし、あの一審判決以降は、足の方はかなり回復してきたが、心はきつかった。でも5年余りにして高裁で逆転勝利をかちとりホッとした。
 努力がむくわれるのはやはり嬉しい!!この判決が次に続く女たちに少しでも光明となればと心より願う。この斗いの課程で私たち「支える会」は、何を作れたんだろう。そして何ができなかったんだろう。落ち着いて考えるべきことがまだ沢山ありそうだが、まだその余裕がない。
 5年間の斗いの記録作りまでには、形にできるよう努力したい。   (Q)



☆ Aさんコーナー

   「きのうのさかな、夢の跡」

 昨年、水俣湾の仕切り網が撤去され、24年間有害とされてきた海産物がその日を境に安心して口にできるようになったというニュースがあった。ちょうど社食のTVの前を通りかかった所長が、
 「きのうのさかなと今日のさかなとどう違うんだよ!」
 と言い放った。
 平成9年11月20日午前10時をもって、私は天下晴れて「嘘つき」ではなくなった。同時に、きのうまで清廉潔白だった部長は、破廉恥なセクハラ男と認定された。
 言渡しが始まったとき、
 「原告の請求を棄却する」
 という声が聞こえた。すうっと気が遠くなりかけた。けれどそれは横浜地裁の鈴木裁判長の言葉が、どうかして頭の中に響いただけだった。「ここは地裁ではない」と言い聞かせて、判決に耳を傾けた。
 判決主文を聞きながら胸に涌いてきたものは何だったろう。ふと廷吏さんが目に入って滲みかけた視界も元に戻った。緊張も弛緩もなく、ごく平和裏に言渡しは終了した。退廷するときに少し振り返ってみたけれども、既に次の審理が始まりかけているだけで、やはり何事も起こった様子でもなかった。
 ところが出てみると、集まってくれた人たちは相当に嬉しそうだった。人の手をとって振り回しかねないようなのもいた。しばらくはほっとけと言ってもきかなさそうだったのでなるに任せた。あんまり騒いでくれるので、「アタシ、もうちょっと嬉しそうにしなきゃだめッスか!?」と訊いてしまった。ただ、腕章を付けた係員がふたり、私たち一団がエレベーターに乗り込むまでそのへんにいた。何かやらかすと思わせる節でもあっただろうか、大袈裟な配慮である。
 そのあとすぐの報告会には、やはり明るくほのぼのとした雰囲気が満ちていた、ロの字型に並ばった机に囲まれた中に人の入らない四角いスペースのある会議室。それを眺め渡していたらば、一審の判決報告集会場だったホリディインの鶴の間が見えてきた。壁に鶴、天井に鶴、絨毯に鶴、テーブルクロスにも鶴がいた鶴尽くしの部屋。たくさんの鶴に囲まれて、今日とは違う涙にくれた人もいた。今日と同じような雨もよいの、寒々とした3月の終わりだった。
 帰りに内幸町駅ホームの売店で、みんなで夕刊を買いあさった。その場で広げて、電車が何本も来ては行くあいだ、読み比べてははしゃいだ。
 「私たちは勝ちました」
 と、世間に向かって堂々と公表された一字一句が嬉しかった。このへんからやっと実感がつかめてきた。
 もうきちんと畳めない新聞を抱えて部屋に戻ると、今度はおめでとうコールの嵐だった。大阪から宇都宮から八王子から千葉から、まるで自分の身に起きたことのように大変な喜びようで。ただひとり、私だけが他人のことのように口をぱくぱくさせてお礼を述べているのがおかしかった。
 とりあえず、このように多くの人たちが欣喜雀躍し歓喜に涌く様子を見て、
 「勝ってよかったなあ」
 と、しみじみ感じながら眠りに就いた判決当夜だった。

 判決から10日後、ひとりのM子からハガキが届いた。
 裁判を通して知り合ったM子という同名の知人はふたりいる。M子もM子もセクハラの被害者である。M子もM子も裁判を起こした。その結果、M子もM子も敗訴した。ふたりとも再度立ち上がった。けれどもひとりのM子は敗訴が確定し、もうひとりのM子もきわめて厳しい状況かで今なお闘い続けている。
 私も一度負けた。
 先に来たのは確定のM子のこのハガキだった。

 うれしくってコーフンしたよ。
 ホントーにうれしい。
 明るいニュースをありがとう。
 何はともあれ、
 オメデトウ!
 がんばったね。

 手放しで喜んでくれているそのボールペンの字をピンクの蛍光ペンで太くなぞった「オメデトウ!」が彼女の素直な気持ちを表していると感じた。彼女の闘争を知っていればこそわかる、私の感覚だと思った。2度ならず3度まで立ち上がり、最後まであきらめずに事実を訴え続けたのに、全ての主張をことごとく認められなかった彼女。裁判によって癒されることも名誉を回復することもできず、どんなにか悔しかっただろうに。どんなにか悲しかっただろうに。それなのに、勝ちを得たわたしをこれまでに祝福してくれる。そのいじらしさに私は頭が下がる思いだった。
 私には人を祝えない気持ちが依然としてある。二審係争中のころ、後発の各地の訴訟が次々と勝ち、あまつさえ連破していく行く様子を聞き、妬んだ。
 「なぜあの人は勝てるの?どうしてこの人は認められるの?そんなふうに喜び勇んで、どういう神経で負けた人間に『勝ったのー!!』なんて言ってこれるの?‥‥‥ああ、おめでとう、よかったね。勝訴の事実は本当にいいことだと思うよ。でも、私は負けている」
 この性根に周囲の人たちは眉をひそめた。だからこそ今がんばっているんじゃあないかと激励した。でもその激励は私にとって叱咤としか感じられなかった。
 さらに20日たって、もうひとりのM子からもメッセージが届いた。

 いまごろ たくさんのおめでとうに囲まれて
 うれしそうなあなたが目に浮かぶようです。
 わたしから あなたへおくる
 いちばんふさわしいものは
 ありがとうの言葉かもしれません。
 どんな花束よりも

 目にした瞬間、どっと涙があふれた。その場にへたり込んで泣きじゃくった。悲しくて仕方なかった。他に何も考えられなかった。悲しかった。負けを経た私の、これも感覚だと思った。
 ところが周囲の人たちは、このメッセージのどこが悲しいのかと言った。元気づけられると喜んで祝ってくれているのだから、素直にとればいいではないかと言った。
 違うのだ!M子の気持ちはそんなものではないのだ!あなたたちにはなぜわからない?そうではないのだ!
 叫びたかった。
 「私はうれしそうになんかしていない!一審でストレートに勝てた人たちみたいに、あんなふうにイソイソと喜んでなんかいない!」
 ‥‥‥皮肉にとったのでは決してなく。勝訴を喜んでくれている気持ちは確かに汲み取れる。ただ、よそが勝っていくのをじっと見ているしかない、その立場がいかにつらいかが、私には痛いくらいに身に滲みて。M子がまだそのさ中にあるということが悲しくて。
 判決直後、「ほっとしたでしょう」と何人かから言われた。
 「ほっとしたでしょう」‥‥‥何が、だろう。終わったことが?勝ったことが?
 確かに嬉しいし、驚くほど気負いのようなものはなくなった。こう、何と言ったらいいかうまく表せないのだけれど、常に何かが気がかりになっているような気分はなくなった。自覚していた以上に、裁判をやっていることは自分に負担になっていたようだ周囲の人たちに訊ねてもやはり明るく元気になったという答えが返ってくる。それが「ほっとした」ということなのだろうか。
 去年の春、私の救いようのない暗さをもて余して去った27才の♂のKに、判決後27日たってやっと電話をかけた。もう関わり合わないと言う約束を破って。
 「おめでとう。」
 ここにもおめでとうという言葉があった。裁判のことはずっと気になっていて、「クラブA」を見ては「陰ながら応援しとった」というKは勝訴を知って、
 「電話しよう思ったんやけど、しづらくて‥‥‥でも元気になったようやし‥‥‥これだけのことをがんばってやり遂げたんやから、もう昔のAさんとは変わったんやから‥‥‥少ししか一緒におらんかったけど‥‥‥あのころはずいぶんつらそうやった」
 と、すっかり安心したように「変わった、ようなった」を連発した。
 テクネットにアルバイトできていたH君。当時学生だった彼も28才になり、今は就職して長野で仕事をしている。実際にはその必要は起こらなかったけれど一、二審を通して2回、証言と意見書の作成を持ちかけたことがあった。仲も良かったし非常に性格の優しい彼は、断りながらも友情を保ち続けてくれた。勝つためとはいえ、こんな友人にまで迷惑をかけてしまったこと、その心根を傷つけるようなことをしてしまったことが、ずっと気がかりだった。そのH君から正月3日、思いがけない年賀状が届いた。

 あけましておめでとうございます
 お元気ですか?
 私は今 伊那にいます。
 例の裁判の件は八王子に
 出張中偶然開いた新聞で
 見ました。
 こちらも、
 おめでとうございます。

 実家のほうに着いていたその年賀状の差出人名を見たときは「!?どうしたの突然」と思ったけれど、ひっくり返して文面を読んだらば、とても懐かしく、暖かい気持ちに満たされた。忘れもせず。よく忘れもせずに憶えていてくれた、と。
 KにしてもこのH君にしても、まるで思いも寄らないところや気付かずにいたところに、人思う人の気持ちが存在することを教えてくれた。
 H君とはこの間、連絡をとり続けていたわけでもなく、彼にはこちらの様子を知る術もない。でも、彼は部長やSさんたちと共に楽しく仕事をした共通の過去を持ち、なお、そこから離反せざるを得ず、訴訟に立ち上がった私を「正しい」と認めてくれたのだ。
 彼らの純粋に祝ってくれる気持ちはありがたいと思う。それは本当に素直に受け取る決意でいる。判決の日に来てくれた人たちや、あちこちからおめでとうコールをくれた人たち、祝勝忘年会に参加してくれた人たち、その他大勢のおめでとうと言ってくれた、喜んでくれた、その人たちの気持ちには、本当に「ありがとう」の一言しかない。でもそれに続く「ほっとしたでしょう、お疲れさま」はどうも素直に受け取れないのだ。

 ここに「勝った」という厳然たる事実がある。一審で負けて高裁で勝ち取った二審逆転勝訴。この誇りかな初の快挙を私は誰に報らせたかったろう。「サクラサク」の電報を、いちばんに誰にと願っていただろう。
 判決翌日、会社の食堂へ行くなり
 「アンタ、きのう勝ったでしょ!テレビで見たよ!新聞にも載ってて、娘に見せたら『ヘー、勇気あるね』って言ってたよ!」
 と、おはようも言わずに大はしゃぎなまかないのおばちゃんがいた。「終わったら早く忘れて、イイ人できたら内緒にして幸せになんな」と言っていた彼女が、勝訴と知るや、俄然強気な私の賛同者と化した。自分は間違っていないと考えた故に起こした訴訟なのだから隠し立てする必要はないはずだし、忘れようとしたりしてはそれこそ無意味になってしまう。これから胸を張って生きていくために闘った日々を恥じる必要はないのだということを、おばちゃんはどうやら理解したようだった。しかし、28才♂のNは、「それもそうだが、それはそれだ」という見解を変えなかった。

 ふだん私を取り巻いている多くの人たちは、Nと同意見をもってして私をスポイルしようとしているかのようだ。
 勝訴と聞いて初めて「よくがんばったね」と言ってきたゆかりある人たち。埒外なら最後まで埒外であるべきだ。負けていたらそんな言葉はなかったはず。
 「とうてい信用できない」といわれたその同じ事実を二審は認めた。ならなぜ一審で勝たせてくれなかった。
 訴訟を起こしたことを後悔はしていないが、全て良かったとも思えない。
 闘わなければ何も変わらないからそうした。望んだわけではなかった。闘い、勝つことで女性たちに勇気や希望を与えたかったのでもない。だからほめられる筋合いはない。私は、自分と同じく部長の手にかかる被害者をもう出したくなかった。そんな私の小さな思いがこんな大ごとになってしまった。新聞に載って、賠償金をもらって、大勢でお祝いをして。でも、私はまだ部長にあやまってもらっていない。
 一審判決で破壊されてしまった私は、敗訴による悲しさや惨めさを乗り越えることはしなかった。悔しさをバネにするとかいう類の努力などできなかった。死んだ私の二審は、文字通り支援に支えられてやりおおせた。勝った今でも消えないあのころの気持ちはこれからもずっと忘れない。
 私を支えてくれた人。振り捨てた人。助けてくれた人。見ないふりをした人。一緒にいてくれた人。そんな人たちの記憶と共に、ずっと忘れない。
 どんな判決であろうと私は私なのだ。きのうの私も今日の私も、沈黙のまま生き続ける人たちのそばに在る。

 「セクハラや ますらおどもが 夢の跡」   (笑、ダサ句。横浜のA)



☆ 会計報告(97.11.9〜98.2.1)

収入      74,632円

     内訳   カンパ     74,632円

支出      92,190円

     内訳   郵送代     50,040円
           印刷・紙代   14,220円
           会場費     10,000円
           雑費       17,930円

前期繰越金  60,595円

差引残額    43,037円

◎ 会計より

 我が裁判は、ようやく良い結果を得ることができました。これも、物心両面から支えてくれたみなさんのおかげです。
 財政的には、この最終号の発行と資料集の作成をもって、支出を完了します。なお、報告集会については、資料集の発行にかえさせていただき、これを完売することで我が支える会は解散します。
 これまでのご協力、本当にありがとうございました。




1997年 11月20日 「朝日新聞」夕刊

   密室でのセクハラ認定
      元上司・会社に賠償命令 東京高裁逆転判決


 「職場で肩や腰を触られたり、抱きつかれたりするなどのセクシュアル・ハラスメント(セクハラ)の被害を受けた」などとして、横浜市南区に住む女性(31)が、かつて勤務していた建築会社の元上司と会社、その親会社の大手総合建設会社の3者を相手に総額550万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めた訴訟の控訴審判決が20日、東京高裁であった。加藤和夫裁判長は、「元上司の行為は社会通念上許された限度を超え、原告の性的自由及び人格権を侵害した」との判断を示し、元上司と勤務先だった会社に計275万円の支払いを命じる逆転判決を言い渡した。

 一審の横浜地裁は、原告が逃げたり、声をあげたりしなかったことなどを理由に、セクハラを受けたと主張する原告の供述は信用できないとして、請求を全て棄却していた。控訴審では、目撃者のいない密室でのセクハラ行為の有無をどう判断するかが、最大の争点になっていた。

 東京高裁は、「上司と部下という職場での上下関係や、同僚との友好関係を保っていきたいという抑圧が働き、この女性が悲鳴を上げて助けを求めなかったからといって供述内容が不自然とは言えない」と指摘。元上司がほかの女性従業員の腰や肩に抱きつくなどしたことが原因で退職したことなどを踏まえて、原告の主張するセクハラの事実はあったと認定した。
 そのうえで、「元上司の行為は、勤務時間内にその地位を利用して行われた」と述べ、会社側の使用者責任を認めて、元上司と会社に賠償を命じた。親会社については「実質的な指揮監督関係はなかった」として、請求を退けた。

 高裁判決によると、元上司は1990年秋ごろから職場の通路などで原告の髪の毛を触るようになった。91年、職場でふたりきりになった際に、元上司は約20分間にわたって、原告の服の下に手をいれて胸を触ったり、下半身を触るなどの行為を続けた。



1997年 11月20日 「日経新聞」夕刊

   上司からセクハラ 会社などに賠償命令
     東京高裁、逆転判決


 建築資材開発会社「テクネット」(本社東京)の横浜営業所に勤務していた元女性社員(31)が、男性上司(55)からセクハラを受け、退職に追い込まれたなどとして、上司や会社などに計550万円の侵害賠償を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は20日、請求を棄却した一審判決を変更し、上司と会社に計275万円を支払うよう命じた。

 同社の親会社で、上司が所属していた大手ゼネコン「清水建設」(本社同)に対する請求は一審同様棄却した。

 加藤和夫裁判長は、「職場で継続的に髪や腰に触られた上、抱きつかれるなどのわいせつ行為を受け、人格権や性的自由に対する重大な侵害を受けた」と判決理由を示した。



1997年 11月20日 「東京新聞」夕刊

   セクハラ上司に賠償命令
        東京高裁が逆転判決


 建築資材開発会社「テクネット」(本社東京)の横浜営業所に勤務していた元女性社員(31)が、男性上司(55)からセクハラを受け、退職に追い込まれたなどとして、上司や会社などに計550万円の侵害賠償を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は20日、請求を棄却した一審判決を変更し、上司と会社に計275万円を支払うよう命じた。
 同社の親会社で、上司が所属していた大手ゼネコン「清水建設」(本社同)に対する請求は一審同様棄却した。

 加藤和夫裁判長は、「職場で継続的に髪や腰に触られた上、抱きつかれるなどのわいせつ行為を受け、人格権や性的自由に対する重大な侵害を受けた」と判決理由を示した。



1997年 11月21日 「朝日新聞」朝刊

   セクハラ訴訟 原告逆転勝訴
  「逃げなくても被害」認定 一審と180度異なる判断


 1995年に3月に横浜地裁が「原告の供述は到底信用することができない」として訴えを退けた「横浜セクシュアルハラスメント訴訟」で、東京高裁は20日、一審判決を覆して被害者の主張を認める判決を言い渡した。二人きりの職場で上司に抱きつかれてキスされたりしたとの訴えに対し、「外に逃げたり悲鳴をあげて助けを求めたりしなかった」女性の行動が「不自然」か、「ありうること」か。二審の判断は一審と180度異なった。

 「事件」があったのは、91年2月。女性は社長に直訴したあと、同じ職場にいづらくなって8月に退社。翌92年7月に横浜地裁に提訴した。

 ●抱擁は不自然
 上司は、開発した商品が取材された喜びを分かち合うため肩を抱きしめただけだ、と主張した。一審は、女性は「腕でガードした」「だめですよと言った」だけで、逃げたり悲鳴をあげて助けを求めたりしておらず、「被告への尊敬の気持ちなどから突き飛ばしたりはできなかった」という言い分を、「あまりに冷静沈着で納得し難い」とした。
 しかし、二審は、上司のいう「無言で抱きしめる行為」は、男性上司が若い女性従業員と仕事上の喜びを分かち合う行為としては極めて不自然な上、当日同僚が感じた深刻な様子から、ただ抱きしめただけではないことがうかがわれるとした。女性の抵抗についても、「顔をそむけたり手を払いのけようとした」が、上司がしつように行為を続けた、と認めた。

● 職場の地位利用
 逃げなかった」ことについては、女性側の弁護団が提出した米国の強姦被害者に関する研究が採用された。それによれば、逃げたり声をあげたりすることが一般的な対応とは限らず、この日の判決は「強制わいせつの被害者も同様に考えられる」と判断した。
 そのうえで、「特に職場における性的自由の侵害行為は、上下関係などの抑圧が働き、被害者が必ずしも身体的抵抗という手段をとらない」と述べて、地位を利用しての性的自由や人格権の侵害を認めた。

 ●北京会議後の変化
 女性の代理人の渡辺智子弁護士らは「提訴から5年かかったが、被害にあってもすぐに突き飛ばしたりはできない状況が、やっと認められた。警察が性犯罪被害者への対応を改めるなど、北京女性会議以降の性暴力に対する社会の認識の変化も大きかった」と評価した。原告は「『原判決を取り消す』という8文字が一番うれしい」と話した。



1997年 11月21日 「神奈川新聞」朝刊

   セクハラ訴え逆転勝訴
  横浜営業所元女性社員 上司らに賠償命令 東京高裁


 建築資材開発会社「テクネット」(本社東京)の横浜営業所の元女性社員(31)が、上司(55)からセクハラを受け、退職に追い込まれたなどとして、計550万円の侵害賠償を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は20日、請求を棄却した一審判決を変更し、上司と同社に計275万円を支払うよう命じた。
 同社の親会社で、上司が所属していた大手ゼネコン「清水建設」(本社同)に対する賠償請求については、監督責任を否定し一審同様に棄却した。

 加藤和夫裁判長(筧康生裁判長代読)は女性がセクハラ行為に強く抵抗しなかったことについて「不自然ではない」とした上で「職場で継続的に限度を超える性的な接触行為をされ、人格権などに対する重大な侵害を受けた」と判決理由を示した。

 判決によると、女性は1990年5月に同営業所にアルバイトとして勤め、ほぼ半年後に正社員に採用。同年秋ごろから、当時清水建設から出向していた上司に髪を触られるなどセクハラ行為を繰り返し受けた。
 91年2月19日昼、事務所でふたりきりになった際、上司は急に後ろから抱きつき、胸を触るなどの行為を約20分間続けた。女性は職場にいづらくなり、同年8月に退職した。

 一審の横浜地裁は、女性が逃げ出さなかったことなどを理由に請求を退けた。
 これに対し、加藤裁判長は、女性側が控訴審で申請した乱暴された女性の行動に関する米国の研究を引用して「セクハラの被害者が常に逃げたり、悲鳴を上げるとは限らず、職場の上下関係から抵抗しないことも認められる」と指摘。「会社にいるためにはこのまま切り抜けなければ」などと女性が考えたことは不自然と断定すべきでない、とした。
 その上で、別の女性従業員も同様のセクハラ行為で退職したことなどから、事実関係について女性側の主張をほぼ全面的に認めた。

 固定観念破る判決
 逆転勝訴した元OLの弁護士の話


 一審判決は性暴力に遭遇した女性は大声を出したり、逃げ出したりするものだという固定観念から事実を認めようとしなかった。これに対して、控訴審判決は米国の実例やカウンセラーの鑑定書などからそうした対応を取れないケースも十分あり得るとして、正反対の判断を下した。各地の地裁でも見受けられる一審のような誤った考え方に歯止めをかける判断で、画期的な判決だ。

 判決文を見て対応
 テクネットの坂田正幸総務課長の話


 今後の対応については判決文を見てから決めたい。



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