「電話しよう思ったんやけど、しづらくて‥‥‥でも元気になったようやし‥‥‥これだけのことをがんばってやり遂げたんやから、もう昔のAさんとは変わったんやから‥‥‥少ししか一緒におらんかったけど‥‥‥あのころはずいぶんつらそうやった」
と、すっかり安心したように「変わった、ようなった」を連発した。
テクネットにアルバイトできていたH君。当時学生だった彼も28才になり、今は就職して長野で仕事をしている。実際にはその必要は起こらなかったけれど一、二審を通して2回、証言と意見書の作成を持ちかけたことがあった。仲も良かったし非常に性格の優しい彼は、断りながらも友情を保ち続けてくれた。勝つためとはいえ、こんな友人にまで迷惑をかけてしまったこと、その心根を傷つけるようなことをしてしまったことが、ずっと気がかりだった。そのH君から正月3日、思いがけない年賀状が届いた。
あけましておめでとうございます
お元気ですか?
私は今 伊那にいます。
例の裁判の件は八王子に
出張中偶然開いた新聞で
見ました。
こちらも、
おめでとうございます。
実家のほうに着いていたその年賀状の差出人名を見たときは「!?どうしたの突然」と思ったけれど、ひっくり返して文面を読んだらば、とても懐かしく、暖かい気持ちに満たされた。忘れもせず。よく忘れもせずに憶えていてくれた、と。
KにしてもこのH君にしても、まるで思いも寄らないところや気付かずにいたところに、人思う人の気持ちが存在することを教えてくれた。
H君とはこの間、連絡をとり続けていたわけでもなく、彼にはこちらの様子を知る術もない。でも、彼は部長やSさんたちと共に楽しく仕事をした共通の過去を持ち、なお、そこから離反せざるを得ず、訴訟に立ち上がった私を「正しい」と認めてくれたのだ。
彼らの純粋に祝ってくれる気持ちはありがたいと思う。それは本当に素直に受け取る決意でいる。判決の日に来てくれた人たちや、あちこちからおめでとうコールをくれた人たち、祝勝忘年会に参加してくれた人たち、その他大勢のおめでとうと言ってくれた、喜んでくれた、その人たちの気持ちには、本当に「ありがとう」の一言しかない。でもそれに続く「ほっとしたでしょう、お疲れさま」はどうも素直に受け取れないのだ。
ここに「勝った」という厳然たる事実がある。一審で負けて高裁で勝ち取った二審逆転勝訴。この誇りかな初の快挙を私は誰に報らせたかったろう。「サクラサク」の電報を、いちばんに誰にと願っていただろう。
判決翌日、会社の食堂へ行くなり
「アンタ、きのう勝ったでしょ!テレビで見たよ!新聞にも載ってて、娘に見せたら『ヘー、勇気あるね』って言ってたよ!」
と、おはようも言わずに大はしゃぎなまかないのおばちゃんがいた。「終わったら早く忘れて、イイ人できたら内緒にして幸せになんな」と言っていた彼女が、勝訴と知るや、俄然強気な私の賛同者と化した。自分は間違っていないと考えた故に起こした訴訟なのだから隠し立てする必要はないはずだし、忘れようとしたりしてはそれこそ無意味になってしまう。これから胸を張って生きていくために闘った日々を恥じる必要はないのだということを、おばちゃんはどうやら理解したようだった。しかし、28才♂のNは、「それもそうだが、それはそれだ」という見解を変えなかった。
ふだん私を取り巻いている多くの人たちは、Nと同意見をもってして私をスポイルしようとしているかのようだ。
勝訴と聞いて初めて「よくがんばったね」と言ってきたゆかりある人たち。埒外なら最後まで埒外であるべきだ。負けていたらそんな言葉はなかったはず。
「とうてい信用できない」といわれたその同じ事実を二審は認めた。ならなぜ一審で勝たせてくれなかった。
訴訟を起こしたことを後悔はしていないが、全て良かったとも思えない。
闘わなければ何も変わらないからそうした。望んだわけではなかった。闘い、勝つことで女性たちに勇気や希望を与えたかったのでもない。だからほめられる筋合いはない。私は、自分と同じく部長の手にかかる被害者をもう出したくなかった。そんな私の小さな思いがこんな大ごとになってしまった。新聞に載って、賠償金をもらって、大勢でお祝いをして。でも、私はまだ部長にあやまってもらっていない。
一審判決で破壊されてしまった私は、敗訴による悲しさや惨めさを乗り越えることはしなかった。悔しさをバネにするとかいう類の努力などできなかった。死んだ私の二審は、文字通り支援に支えられてやりおおせた。勝った今でも消えないあのころの気持ちはこれからもずっと忘れない。
私を支えてくれた人。振り捨てた人。助けてくれた人。見ないふりをした人。一緒にいてくれた人。そんな人たちの記憶と共に、ずっと忘れない。
どんな判決であろうと私は私なのだ。きのうの私も今日の私も、沈黙のまま生き続ける人たちのそばに在る。
「セクハラや ますらおどもが 夢の跡」 (笑、ダサ句。横浜のA)
☆ 会計報告(97.11.9〜98.2.1)
収入 74,632円
内訳 カンパ 74,632円
支出 92,190円
内訳 郵送代 50,040円
印刷・紙代 14,220円
会場費 10,000円
雑費 17,930円
前期繰越金 60,595円
差引残額 43,037円
◎ 会計より
我が裁判は、ようやく良い結果を得ることができました。これも、物心両面から支えてくれたみなさんのおかげです。
財政的には、この最終号の発行と資料集の作成をもって、支出を完了します。なお、報告集会については、資料集の発行にかえさせていただき、これを完売することで我が支える会は解散します。
これまでのご協力、本当にありがとうございました。
1997年 11月20日 「朝日新聞」夕刊
密室でのセクハラ認定
元上司・会社に賠償命令 東京高裁逆転判決
「職場で肩や腰を触られたり、抱きつかれたりするなどのセクシュアル・ハラスメント(セクハラ)の被害を受けた」などとして、横浜市南区に住む女性(31)が、かつて勤務していた建築会社の元上司と会社、その親会社の大手総合建設会社の3者を相手に総額550万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めた訴訟の控訴審判決が20日、東京高裁であった。加藤和夫裁判長は、「元上司の行為は社会通念上許された限度を超え、原告の性的自由及び人格権を侵害した」との判断を示し、元上司と勤務先だった会社に計275万円の支払いを命じる逆転判決を言い渡した。
一審の横浜地裁は、原告が逃げたり、声をあげたりしなかったことなどを理由に、セクハラを受けたと主張する原告の供述は信用できないとして、請求を全て棄却していた。控訴審では、目撃者のいない密室でのセクハラ行為の有無をどう判断するかが、最大の争点になっていた。
東京高裁は、「上司と部下という職場での上下関係や、同僚との友好関係を保っていきたいという抑圧が働き、この女性が悲鳴を上げて助けを求めなかったからといって供述内容が不自然とは言えない」と指摘。元上司がほかの女性従業員の腰や肩に抱きつくなどしたことが原因で退職したことなどを踏まえて、原告の主張するセクハラの事実はあったと認定した。
そのうえで、「元上司の行為は、勤務時間内にその地位を利用して行われた」と述べ、会社側の使用者責任を認めて、元上司と会社に賠償を命じた。親会社については「実質的な指揮監督関係はなかった」として、請求を退けた。
高裁判決によると、元上司は1990年秋ごろから職場の通路などで原告の髪の毛を触るようになった。91年、職場でふたりきりになった際に、元上司は約20分間にわたって、原告の服の下に手をいれて胸を触ったり、下半身を触るなどの行為を続けた。
1997年 11月20日 「日経新聞」夕刊
上司からセクハラ 会社などに賠償命令
東京高裁、逆転判決
建築資材開発会社「テクネット」(本社東京)の横浜営業所に勤務していた元女性社員(31)が、男性上司(55)からセクハラを受け、退職に追い込まれたなどとして、上司や会社などに計550万円の侵害賠償を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は20日、請求を棄却した一審判決を変更し、上司と会社に計275万円を支払うよう命じた。
同社の親会社で、上司が所属していた大手ゼネコン「清水建設」(本社同)に対する請求は一審同様棄却した。
加藤和夫裁判長は、「職場で継続的に髪や腰に触られた上、抱きつかれるなどのわいせつ行為を受け、人格権や性的自由に対する重大な侵害を受けた」と判決理由を示した。
1997年 11月20日 「東京新聞」夕刊
セクハラ上司に賠償命令
東京高裁が逆転判決
建築資材開発会社「テクネット」(本社東京)の横浜営業所に勤務していた元女性社員(31)が、男性上司(55)からセクハラを受け、退職に追い込まれたなどとして、上司や会社などに計550万円の侵害賠償を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は20日、請求を棄却した一審判決を変更し、上司と会社に計275万円を支払うよう命じた。
同社の親会社で、上司が所属していた大手ゼネコン「清水建設」(本社同)に対する請求は一審同様棄却した。
加藤和夫裁判長は、「職場で継続的に髪や腰に触られた上、抱きつかれるなどのわいせつ行為を受け、人格権や性的自由に対する重大な侵害を受けた」と判決理由を示した。
1997年 11月21日 「朝日新聞」朝刊
セクハラ訴訟 原告逆転勝訴
「逃げなくても被害」認定 一審と180度異なる判断
1995年に3月に横浜地裁が「原告の供述は到底信用することができない」として訴えを退けた「横浜セクシュアルハラスメント訴訟」で、東京高裁は20日、一審判決を覆して被害者の主張を認める判決を言い渡した。二人きりの職場で上司に抱きつかれてキスされたりしたとの訴えに対し、「外に逃げたり悲鳴をあげて助けを求めたりしなかった」女性の行動が「不自然」か、「ありうること」か。二審の判断は一審と180度異なった。
「事件」があったのは、91年2月。女性は社長に直訴したあと、同じ職場にいづらくなって8月に退社。翌92年7月に横浜地裁に提訴した。
●抱擁は不自然
上司は、開発した商品が取材された喜びを分かち合うため肩を抱きしめただけだ、と主張した。一審は、女性は「腕でガードした」「だめですよと言った」だけで、逃げたり悲鳴をあげて助けを求めたりしておらず、「被告への尊敬の気持ちなどから突き飛ばしたりはできなかった」という言い分を、「あまりに冷静沈着で納得し難い」とした。
しかし、二審は、上司のいう「無言で抱きしめる行為」は、男性上司が若い女性従業員と仕事上の喜びを分かち合う行為としては極めて不自然な上、当日同僚が感じた深刻な様子から、ただ抱きしめただけではないことがうかがわれるとした。女性の抵抗についても、「顔をそむけたり手を払いのけようとした」が、上司がしつように行為を続けた、と認めた。
● 職場の地位利用
逃げなかった」ことについては、女性側の弁護団が提出した米国の強姦被害者に関する研究が採用された。それによれば、逃げたり声をあげたりすることが一般的な対応とは限らず、この日の判決は「強制わいせつの被害者も同様に考えられる」と判断した。
そのうえで、「特に職場における性的自由の侵害行為は、上下関係などの抑圧が働き、被害者が必ずしも身体的抵抗という手段をとらない」と述べて、地位を利用しての性的自由や人格権の侵害を認めた。
●北京会議後の変化
女性の代理人の渡辺智子弁護士らは「提訴から5年かかったが、被害にあってもすぐに突き飛ばしたりはできない状況が、やっと認められた。警察が性犯罪被害者への対応を改めるなど、北京女性会議以降の性暴力に対する社会の認識の変化も大きかった」と評価した。原告は「『原判決を取り消す』という8文字が一番うれしい」と話した。
1997年 11月21日 「神奈川新聞」朝刊
セクハラ訴え逆転勝訴
横浜営業所元女性社員 上司らに賠償命令 東京高裁
建築資材開発会社「テクネット」(本社東京)の横浜営業所の元女性社員(31)が、上司(55)からセクハラを受け、退職に追い込まれたなどとして、計550万円の侵害賠償を求めた訴訟の控訴審で、東京高裁は20日、請求を棄却した一審判決を変更し、上司と同社に計275万円を支払うよう命じた。
同社の親会社で、上司が所属していた大手ゼネコン「清水建設」(本社同)に対する賠償請求については、監督責任を否定し一審同様に棄却した。
加藤和夫裁判長(筧康生裁判長代読)は女性がセクハラ行為に強く抵抗しなかったことについて「不自然ではない」とした上で「職場で継続的に限度を超える性的な接触行為をされ、人格権などに対する重大な侵害を受けた」と判決理由を示した。
判決によると、女性は1990年5月に同営業所にアルバイトとして勤め、ほぼ半年後に正社員に採用。同年秋ごろから、当時清水建設から出向していた上司に髪を触られるなどセクハラ行為を繰り返し受けた。
91年2月19日昼、事務所でふたりきりになった際、上司は急に後ろから抱きつき、胸を触るなどの行為を約20分間続けた。女性は職場にいづらくなり、同年8月に退職した。
一審の横浜地裁は、女性が逃げ出さなかったことなどを理由に請求を退けた。
これに対し、加藤裁判長は、女性側が控訴審で申請した乱暴された女性の行動に関する米国の研究を引用して「セクハラの被害者が常に逃げたり、悲鳴を上げるとは限らず、職場の上下関係から抵抗しないことも認められる」と指摘。「会社にいるためにはこのまま切り抜けなければ」などと女性が考えたことは不自然と断定すべきでない、とした。
その上で、別の女性従業員も同様のセクハラ行為で退職したことなどから、事実関係について女性側の主張をほぼ全面的に認めた。
固定観念破る判決
逆転勝訴した元OLの弁護士の話
一審判決は性暴力に遭遇した女性は大声を出したり、逃げ出したりするものだという固定観念から事実を認めようとしなかった。これに対して、控訴審判決は米国の実例やカウンセラーの鑑定書などからそうした対応を取れないケースも十分あり得るとして、正反対の判断を下した。各地の地裁でも見受けられる一審のような誤った考え方に歯止めをかける判断で、画期的な判決だ。
判決文を見て対応
テクネットの坂田正幸総務課長の話
今後の対応については判決文を見てから決めたい。
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