魚肉が沈殿していることがあるので、よく振ってお飲みください。
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DJEBEL YOKO号 輸送作戦

【09.08.23】

どんぐりさんが乗っていたSUZUKI DJEBEL200を譲ってもらうことになった。
埼玉県和光市から横浜まで自走輸送決行。
先導をmauさんに、ケツ持ちをツバキッキさんにお願いした。
何をそんなに大げさな…と思われるかもしれない。しかし、決して大げさではない。


 

ナンバー取り付けと鍵渡し。この辺はまだ嬉しいような実感がないような…。





18歳で4輪免許は取ったものの以後15年間ペーパー。再び運転し出したもののATしか乗れず、
教習所に通うまでは原付にさえ乗ったことも触ったこともなかった、超運動音痴な30。
そんな40オーバーのおばさんが一念発起してオートバイに乗ろうと考えた。


 

いろいろ説明を受けるうちにだんだん不安になってくる…。


   

心配してくれるどんぐりさんと心配でしょうがない30。
左がギアで右がブレーキだったよね…と確認したりする。
(おい!)





真夏の教習所。年恰好が自分の半分(それ以下!)の学生や若人に混じって入校手続きをした。
教習初日、若い教官が私に言った。
「普通免許お持ちなんですよね。どうしてまた2輪に目覚めちゃったんですか?」
「車なくなっちゃうんですよ」
「え???」
 「ダンナに車取られちゃって、そのまま離婚するからもう乗れないんですよ」
 「!!!(表情と体全体でウケながらも無言ですごい形容し難いリアクション)」
…女の人がバイクの免許を取る理由といえば、
「彼氏が乗っているから」
というのが普通だそうなので、珍しい理由だと驚いたようだった。
この若くてかわいらしい教官が、どんぐりさんに似ていた。




ここから始まる私の未来…
(中山美穂の歌詞に似たようなのがあったけど…あれは「C」!)





総教習時間数50時間。
4輪は持っているので学科なしなのにこの時間数。
しかも、申込時の普通MTを“進歩がない”のでいったん諦め、普通ATにコース変更するも、
それでも上達せずに再度、小型ATへとコース変更をして、
ようやくアドレスに乗れる程度の免許を取得した。
その小型から普通への限定解除に挑むも、検定2回落ち。
秋風が冷たくなるころようやく普通AT審査に合格し、
くたびれ果てて、もう自分には一生MTは乗れないと諦めた…。

「教習所始まって以来の伝説的ヘタクソおばさんライダー」

そんな看板を背負ったまま、教習所を後にした。


 

ようやく走り出したはものの全く余裕がない30。
右折レーンとか右折待ちとか右折とか、エンストしないかドキドキ…。



 

何を話していたかなどまるで覚えていない。
「環八に出さえすれば第3京浜までまっすぐなはずなのに、どうしてこんなにグチャグチャ曲がるの…???」
と、嫌になりかけていたあたり。



 

狭い商店街を、やっとの思いで、先導を追跡する。
mauさんが、交差点を左折したばかりのタクシーの多いあまり広くない場所で急に止まった。
「どうしたんだろう、道でも間違えたのかしら?」
と青くなりかけた。すると、
「ここがガンダムで有名な上井草駅でございます

(…あ、あのネ、今日はネタなんかいいから、とにかくDJEBELを横浜まで無事に輸送しないと…泣!)





冬の最中、わたさんから60ccの原付を譲り受けた。
実家に戻ってから、“足”を失った私はどこへも出かけられず、
ただ知人たちの行動をネットの中で追いかけているだけだった。
しかし、再び“足”を手に入れた。


 

なぜだか一方通行地獄を通らされ、ようやく環八に出る。
(今日のミッションは無事DJEBELを横浜まで輸送することなんだから、練習やシゴキは後日にしてください…泣!)
苦手な右折が多い。いや左折も苦手。というか、この段階ではバイクの運転操作全てが苦手だった。


 

ギアチェンジがうまくできなくて、結局道の真ん中でエンストしてしまったところ。
この時は、クラッチの「遠い」と「近い」をまだ知らなかった。






その直後、初春のある日、大型バイクのうしろに積まれた…。
原付スクーターとオートバイは、全く別の車両なのではないかと思った。
音、パワー、速さ、何もかもが別次元だった。
信号待ちの間ニュートラルだったギアを1速に入れる音と、小さな衝撃が、忘れられなかった。


 

第3京浜突入。環八から側道で導入路に入った時のカーブが気持ちよかった。
ISO号ではちょっとできないような。
(上手い人なら普通にできると思うけれど)
重力と推進力がちょうど吊り合ったような、ものすごく安定した感じがした。
これが60ccのスクーターとは大きく違う点なの!?と驚いた瞬間。



 

あゝ、高速ってラクだ~~~!!
信号ないし、交差点ないし、流れに乗っていればほとんどジャマにならないし。

…80h/kmは出していた。
でも、この時はまだオフ車で高速を走ることのシンドさを感じる余裕がなかったからなのかもしれない…。



 


最初のうちはおっかなびっくりだった原付も、徐々に慣れてツーリングにも参加させてもらうようになった。
ひとりで気ままにツーリングに出かけるような大胆なことはまだできなかったけれど、
用事があれば横浜と相模原を往復することぐらいは何でもなくなった。
でも、いつも通っていた最短路「保土ヶ谷BP」が通れないのが寂しかった。
どんなに頑張っても原付は原付…。


 

料金所を出たところにある保土ヶ谷P.Aで休憩。




第3京浜=「安くて速い」としか思っていなかったが、結構大変な道路だったんだな。
第2東名のこれには、一体いくらの金額が刻まれるのだろう。






春のある日、「クラッチなんて…」と知人から説明を受けた。
私が4輪免許を取った時から苦戦していたクラッチ。それが原因でMT免許取得を諦めたクラッチ。
目の前に厚く高く立ちはだかっていた疑問の壁に小さな穴が開き、
ポロポロと崩れ出すのが見えた気がした。


 

車が出て行ったあとのエアコン水を争って飲むドバトたち…。


 

ツバキッキさんが「横浜そふとくりん」を購入。ザクザクな感じ?





初夏になった。相変わらず60ccのISO号で走りまわっていた。
赤信号で並んだ大型バイクが、青になって轟音だけを残して走り去っていくのを見送るとき、
 なぜか腹の底がカーッと熱くなるような感じがした。悔しいような熱さだった。
絶対に勝てない。絶対に追いつけない。絶対に乗れない。車格とかの話ではなく、
ああはなれないと決めつけている自分が情けなかったのだろうか。それとも…
いくらISO号でがんばっても、所詮はATのスクーターでしか走れないのだ。
…追いつきたかった。追いつけなくとも、せめてついて行きたかった。
羨んでいないで、自分もそうなればいい。
意を決して、再び教習所の門を叩いた。
けれどもやっぱりハードルは高かった…。
12時間かかって検定は3回目でようやくパス。
晴れて、「普通車はATに限る」という条件は、解除された。


 

mauさんの案内で横浜市南区井土ヶ谷の「チャイナ飯店」へ。


 



どれもこれも大盛り過ぎ…。





夏、法律上は普通車に乗れるようになったものの、新しいマシンを迎える勇気がなかなか出ない。
特に運転技術が向上するわけでも何でもなく過ぎていくISO号との日々。
平和だけれど何か、物足りなく感じてきていた。
急坂が上れないISO号。オーバーヒートするISO号。
マスツーで一団から取り残されるISO号が悲しいのではなく、
それは迷惑をかけている、足を引っ張っていることになるからだと気付いた。
行動範囲にも限界がある。
そんなとき、たぬきさんがどんぐりさんのDJEBELなんていいんじゃないかと知らせてくれた。
舗装林道ツーの時、試乗させてもらった。公道デビューで林道を数km。


 

横浜市金沢区のナップス ベイサイド幸浦店へカバー等必需品の買い出しに行く。
このお店のPには珍しいオフ車の一団。






立秋を過ぎた。
ISO号は全くよく走る。道志みちの下りならリッターバイクも抜き掛けてこなくなった。
7ヶ月で富士山にも登り林道も走って、4770.1km。


 

海が見たいみなさんへのお礼に野島公園へ。展望台があるというので丘の上まで登ってみた。




眼下に金沢漁港・海の公園・八景島。




みんな疲れてしまって長いこと座り込んで動けなかった。

遠いところをありがとうございました。暑い中おつかれさまでした…。





そして晩夏の今日、YOKO号がやってきた。
私の2号車。





< 総走行距離 83.9km >


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